佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

2017/03/19 りんくうタウン_田尻漁港_加太サイクリング

 サイクリング2日目。この日からサイクリング仲間と合流。総勢10名でのツーリングとなった。

 10:40ごろりんくうタウンで待ち合わせ。りんくう公園を抜け田尻漁港で昼食。その後は加太へ海沿いに走る。宿泊先の「シーサイドホテル加太海月」には14:50ごろ到着。ゆっくり風呂に入りながら海を眺め、西向きの部屋から夕日が淡路島に沈んでいくのを観た後、夕食はクエづくし。鍋の後の〆ぞうすいがウマイ。

 

りんくうタウンでジャリ・ライダーに遭遇。かわいい。大きくなったらロードバイクでぶっ飛ばそうぜっ!

田尻漁港でチヂミ、チャプチェ、チャンジャ、コノシロの酢漬けを買い昼食。

淡島神社

シーサイドホテル加太海月から眺める夕日は美しい。

2017/03/18 りんくうタウン_泉佐野市サイクリング

 明日からの「りんくうタウン_加太_和歌山サイクリング」の前乗りで泉佐野市をポタリングしました。

 天気良く、りんくう公園から眺める関西国際空港連絡橋の景色は最高でしたが、他は取り立てて景色の良いところは発見できず。ただし、魚を中心に食べ物は美味かった。

昼飯は泉佐野漁協「青空市場」にて、青空天丼セット。

日根神社は縁結び・子授かり・夫婦円満の神様。

夕食は「川せみ」にて鰻、その他。酒は「酔心」と「賀茂鶴」。生姜の天ぷら、大阪らしくウマイ。

 

旬の分葱と旬の酒

 3月に入ってもまだまだ寒いけれど、春を感じるこの頃、畑に分葱が生長したようです。お隣さんからいただいた分葱をぬたにして食べました。

 もう一品は宇都宮餃子。大きくしっかりした皮に包まれたボリューム感がたまりません。

 酒は「竹泉醇辛 2016BY 槽口直詰 生」です。旬の食材をあてにこの時季ならではの酒を飲む。こういうのを贅沢というのでしょうなあ。

 ちなみに「槽口」は「ふなくち」と読みます。槽(ふね)とは酒を搾るための道具です。その酒が流れ出る口にあたる部分を槽口(ふなくち)と呼びます。しぼられたばかりのお酒が槽口から流れ出てきたのを直詰めするのですから濾過も火入れもされていない生まれたてのお酒なのです。まさに生まれたてそのまんまのフレッシュな酒ですから、この時季ならではの酒といえます。

 食後の甘味は「阿闍梨餅」。丹波大納言をしっとりした餅皮で包んだ逸品。知人のYさんがわざわざ買ってきてくださいました。美味しくいただきました。ありがとうございます。

 

2017/03/13 はりまサイクルクラスター 生野~市川町サイクリング

 姫路市さんが取り組んでいる8市8町の播磨サイクルクラスター作りの観光ツアーに参加。

 私が参加したので当然のことですが、今日は快晴のポカポカ陽気。私、とことん晴れ男です。ちなみに妻は晴美といいます。どうだまいったかっ!

 参加者の多くは姫路からリフト付きバスで自転車と共に生野までお出ましです。私は夢前町在住なので生野まで約35㎞を自転車に乗って行きました。

 

 

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『水晶萬年筆』(吉田篤弘・著/中公文庫)

『水晶萬年筆』(吉田篤弘・著/中公文庫)を読みました。

まずは出版社の紹介文を引きます。

アルファベットのSと「水読み」に導かれ、物語を探す物書き。影を描く画家。繁茂する導草に迷い込んだ師匠と助手。月夜に種蒔く人。買えないものを売るアシャ。もう何も欲しくない隠居のルパン―人々がすれ違う十字路で、物語がはじまる。流れる水のように静かにきらめく六篇の物語集。

 

水晶萬年筆 (中公文庫)

水晶萬年筆 (中公文庫)

 

 

 単行本では『十字路のあるところ』であった本書が文庫本では『水晶萬年筆』という本書に収録された一編のタイトルとなっている。私の好みとしても文庫本のタイトルの方が好もしい。

 収められた6編のうち「ティファニーまで」と「黒砂糖」については、師弟の会話が先日読んだ『モナ・リザの背中』と共通する諧謔がありクスリと笑わせる。最近の吉田氏のスタイルなのかもしれない。

 わけの解らないものはあるけれど、余計なものがない静かな世界は吉田氏独特のものだ。雰囲気で押し切る作家さんだと思う。だから読んでいて小説世界にドップリはまる場合もあれば、そうでない時もある。例えばあちこちの町に住んでみたとして、その町が好きになるかどうか、そうしたものは何か言葉で説明できないところで決まっている。そういうことだ。「雨を聴いた家」と「水晶萬年筆」が私の好みです。

 吉田氏の小説は現実と抽象の間にある。抽象から導き出された観念を表現しているともいえる。その手法は現実の世界に夥しい余計なものを削ぎ落とすことで観念を導き出すというものだ。現実の生々しさにうんざりした時、吉田氏の小説は束の間の夢ともうつつとも判然としない時を与えてくれる。それは本を読む人にとって”sanctuary”なのかもしれない。

 本書にあったお気に入りの言葉をいくつか拾ってみる。

 

水が笑う、とあの本にあった。

 

ーーー珍しいものは好きで嫌いだ。

 

最初は影を好む自分が不可解だった。が、描くうちに影の魅力とはそれがそこにある本物の証拠であるからだと気付いた。人が人々になり、星が星々になるように、濁りや影が生まれて初めて確かなものが現れる。

 

 「自由を求めるあまり、ずっと不自由だった人です」

 

「物事には常に中間というものがある。大か小かで悩むのはナンセンスだ。その間にあるものを忘れてはならん」

 

「夜を拾うんだ、吉田君」

 先生は事あるごとにそう言っていた。

「ピアノから黒い鍵盤だけ拾うみたいに」

 

「夜は生きていると、とりあえず仮定してみる。あくまで仮定だが。実際のところ、死んではいない。まぁ、生きてもいないだろうが」