佐々陽太朗の日記

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『メタフィジカル・パンチ − 形而上より愛をこめて』(池田晶子:著/文春文庫)を読む


メタフィジカル・パンチ − 形而上より愛をこめて』(池田晶子:著/文春文庫)を読み終えた。

内容(「BOOK」データベースより)
昨今の哲学ブームに異議を唱える著者が、福田恒存吉本隆明からオウム真理教まで、有名無名問わずあらゆる人間を一刀両断!人々はソクラテスの何を恐れて彼を殺したのか。養老孟司のいう「脳」とは何か。生きるのは死ぬよりなぜよいのか。難解な哲学用語は使わず、分かり易く人間を読み解いた哲学的辛口批評集。


ウーン・・・・(^^;) 難解です。
まさに met・a・phys・i・cal
哲学というものに縁のない私には歯が立ちませぬ。私は「ソクラテス」も「プラトン」も「ニーチェ」も「サルトル」も、1970年代のサントリー・ゴールドのCMで野坂昭如氏が謳っていた歌詞でしか知らないのです。
 ♪ソ、ソ、ソクラテスプラトンか〜♪
 ♪ニ、ニ、ニーチェサルトルか〜♪
 ♪み〜んな悩んで大きくなった〜♪

このような私にはちょっと無理でしたね。

「難解な哲学用語は使わず、分かり易く人間を読み解いた哲学的辛口批評集。」とのことだが、わかりやすく読み解いていただいてもわからない私っていったい・・・・(^^;)
パラパラとページを捲ってたまたま開いたページのセンテンスを抜き書きしてみると、どのように難解かがわかろうというものだ。
例えば167Pの記述。

冷戦終結後、人々はそのアイデンティティを、イデオロギーから民族性へと求めるようになったとも言われる。自己同一性(アイデンティティ)を何ものかに求める、このこと自体の大いなる欺瞞と錯誤に、人類はもはや気付くべきなのだ。「自分」は何者でもない。そして、自分が自分であるということには、どのような理由も根拠もない、耐えるしかない。それは、「存在」が存在したことに、どのような理由も根拠もないのと正確に同じことなのだ、「神」を認めるのでなければ。

この本を私は出来るだけ理解しようと最後まで読み通しましたが、正直なところ十のうち一も理解できてはおりません。しかし、池田女史がけっして贋者ではないことはわかります。彼女は常に「それが何ものか」を問い続けてきた。それが「良きことなのか、悪しきことなのか」を問い続けてきた。通念として当たり前と思われてきたことが「本当にそうなのか」を問い続けてきた。彼女のそうした真摯な態度がはっきりと伝わってきます。彼女は言います。

  人は、考えなければだめなのです
  信じてしまってはだめなのです
  信じてしまえば、そこでおしまい
  でも、宇宙にはおしまいはないのよね

賛成! 解らなくっても賛成!!