ウェルズの日記

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『楢山節考』(深沢七郎 /著 新潮文庫)を読む

楢山節考』(深沢七郎 /著 新潮文庫)を読み終えました。昭和31年の作品です。文庫発行が昭和39年7月30日、今年8月に第75刷を数えるロングセラーだ。継続して多くの読者を獲得していることが証明するように、聞きしに勝る凄い本です。

楢山節考 (新潮文庫)

楢山節考 (新潮文庫)

巻末の日沼倫太郎氏による解説にある文章を引用して『楢山節考』がどんな小説かを紹介する。

楢山節考』は民間伝承の棄老伝説をテーマとした小説で、おりんという老婆が主人公である。普通姥捨といえば拒みいやがりながら捨てられる老人を想像しがちであるが、『楢山節考』の主人公は、みずから進んで捨てられようとする型破りの女性だ。それというのも、自分の住む村や家に食物が乏しいからで、彼女は楢山に捨てられる日を早めるために自から石で前歯を折る。一方息子の辰平は、楢山に老母を捨てなければならぬことが村の掟であることを知りながらも、口に出さない。妻ともども出来ればいつまでもながく家にとどまっていて貰いたいと思う。その息子夫婦の心のやさしさを十分に知っているのがまたおりんなのだ。だが、さすがの辰平も息子のけさ吉が隣家の娘と通じ子を妊らせるに至っては腰を上げざるを得ない。辰平ははりさけんばかりの心で神の棲む楢山におりんを捨てにいく。こういう残酷な行動と、それとまったく背馳した肉親間の美しい愛情とが奇妙にないまぜられ、全体として、酸鼻とも明るさともつかぬイメージをみなぎらせているのが『楢山節考』なのである。

年老いた母おりんはずっと前から楢山まいりに行く気構えをして、その時のための振舞酒や山へ行って坐る筵などを準備している。一人息子の辰平の妻が亡くなってしまったので、その後添いが気がかりである。息子辰平は母を楢山に捨てに行きたくない。母おりんは息子の優しさを知りながら、そんな息子の優しさを心配する。この村にあっては、その優しさは生き延びるための強さの対極にある。つまり弱さなのです。

楢山節考』は、飽食の時代に生き、安っぽいヒューマニズムを疑いもせず信じている私のような薄っぺらな人間の頭をガツンと殴ってくれる短編です。私の頭の中にあるのは脳みそだと思っていましたが、実はそれは脳みそではなく”甘々のカスタードクリームが詰まった”シュークリームだったと深く恥じ入ってしまう一作である。
後期高齢者」という呼び方がその呼び方ゆえに物議を醸し、「人一人の命は地球より重い」「一人でも泣いているものがないように」などという言葉が臆面もなく語られる現代にあってこそ、この本に考えさせられるのは私だけではないだろう。世間では「格差社会」が取り沙汰され、『蟹工船』が読者を増やしているようだが『楢山節考』ももっと読まれても良い本ではないか。

と書きながら、私は決して姨捨を賛美したり肯定したりしているのではありませんので、一言お断りしておきます。念のため。