佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『水曜の朝、午前三時』(蓮見圭一・著 新潮文庫)を読む

素晴らしい小説に出会ってしまいました。今年読んだ小説の中で1番です。まだ11月の半ばで、もう数冊読むことになると思いますが、そう言ってしまって間違いないでしょう。それほど、この小説に惚れました。

水曜の朝、午前三時 (新潮文庫)

水曜の朝、午前三時 (新潮文庫)

帯に記載されている紹介文を引用する。

「もし、あの人との人生を選んでいたら・・・・・・」
1970年、万博の夏−−−−−。
四十五歳の若さで逝った女性翻訳家が、娘のために遺した四巻のテープ。
そこに語らる無惨な恋、許されぬ過去、そして「ひとつの死」。
誰もが何かを探していたあの時代が、鮮やかによみがえる。
追憶の光と影、切なさと歓びに涙がとまらない、感動の告白小説。

出張先の書店で、たまたまこんな帯広告に惹かれてこの本を買い求めました。

  「こんな恋愛小説を
   待ち焦がれていた。
    わたしは、飛行機のなかで、涙がとまらなくなった・・・・・・」
      児玉清氏、絶賛!!

多少大げさな宣伝です。涙は出ません。しかし、この帯広告が決して誇大広告だとは思いません。すばらしく良い小説です。

舞台は1970年、大阪千里で開催された万国博覧会。そこでホステス(今でいうコンパニオン)として働いていた23歳の直美と協会職員・臼井礼との恋。臼井は京都大学言語学研究室に在籍していた一種独特の雰囲気を持つ青年で、英語、フランス語、広東語をはじめとして十カ国語くらいは楽に話せる。東京に許婚がいる直子はそんな臼井に惹かれていく。誰もが熱に浮かされたような万博の雰囲気の中で恋は成就したかに見えたが、臼井の背負う運命が二人を引き裂く。

私がこの小説に惹かれるのは、万博が開催された1970年に小学5年生であったために、なんとなく当時の雰囲気を知っていることが影響しているのかも知れません。あるいは、大学4回生の時に開かれた神戸ポートピア博覧会で働いていた私の経験に、万国博覧会を舞台とした恋愛がオーバーラップするためかもしれません。そう、あのころポートピア博覧会で半年間アルバイトをした私は、日本国中が注目したイベントの異様な熱気の中で、小説にあるようなエピソードと同じような経験をしたのです。たとえば、閉会を数日後にひかえたある日の夜、会場が閉め切られてから半年間の祭りが終わってしまうことへの名残惜しさから、協会職員やコンパニオン、外国人記者などさまざまな人々が、住所を交換したり、記念写真を撮りあったりする光景はポートピア博覧会でもあったのです。中で働く者同士の連帯感も強く、仕事を終えてからコンパニオンと三ノ宮で深夜まで飲んだことも度々でした。そして、当然のことながら、そこに様々な恋愛や哀楽があったことも・・・・。私自身も、とても小説になるようなものではありませんでしたが、さまざまな思いがあった一時期でした。そうした経験がこの小説をして私に特別な思いを抱かせるのかも知れません。
しかし、そうしたことをさっ引いても、この小説はやはり素晴らしいと思います。
たとえば、小説中で直美が雑誌に書いた一節

「十年たっても変わらない者は何もない。二十年たてば、周りの景色さえも変わってしまう。誰もが年をとり、やがて新しい世代が部屋に飛び込んでくる。時代は否応なく進み、世の中はそのようにして続いていく」(P15)

あるいは、直美が娘に宛てた最後の手紙の一節

「私はこれまでに何千冊もの本を読んできたけれど、それ以上に日々の暮らしから学ぶことの方がずっと多かった。二十代の私は嫌味な自信家だったし、多くの人のことを軽蔑していたけれど、それでもけして自分の知的確信の奴隷にはなれなかった。内心では花見客を馬鹿にしていながら、偶然に桜の花を目にして、その美しさに圧倒されたりしていたのです。ピアニストが毎日休みなく鍵盤を叩くように、私は人生の練習を続けてきたのです」(P16)

また、当時、才能に溢れてはいても、女性として生きていくことのむなしさを語った次の一節

「そんな私たちの世代が受験期に差しかかると、受験戦争などという言葉が使われるようになったのだけど、いつどこでそんな戦争があったのか、私にはまるで思い出すことが出来ません。正解は一つしかないのに、どうして求められてもいない答えをわざわざ書き込む人がいるのか、私には不思議なくらいでした。でも、いくら正解を書き込んでみたところで、女である私の身には何も起こりはしないのです。いくら考えても、どんなに努力してみても、私の手に入るのはごくわずかなものでしかありませんでした。」(P28)

極めつけは、直美が異様な熱気を持ったあの時代を語った次の言葉

「とにかく何かをしていなければいけない−−−そんなふうに私が考えたのも、一つには時代のせいだったのかもしれません。一九六九年というのは誰もが何かをしているように思えた年だったし、大学ではキリスト教研究会に所属していたこの私ですら、何度かデモや集会に参加していたのです。サークルの部屋には聖書とヘルメットが並んでいました。学生たちはコカ・コーラを飲みながらマルクスを語っていたのです。この混沌から何かが生まれるかもしれない。時代は、まだそう思わせるだけの熱気をはらんでいました。」(P34)

これらの一節を読むにつけ、直美の心が、想いが、私の心に響いてきます。

当時のミュージシャンやヒット曲が随所にちりばめられているのも音楽好きの私にはたまりません。
出てくるミュージシャンまたは曲を拾い上げてみると
1.ジョニ・ミッチェル    P11
2.「オールド・ファッションド・ラブソング」   P12
3.ボブ・ディラン    P35 P40
4.ジョン・レノン    P40
5.「ベサメ・ムーチョ」(コンスェロ・ベラスケス) P80
6.セルジオ・メンデス  P86
7.モンキーズ  P95
8.デヴィッド・ボウイ  P143
9.CCR「雨を見たかい?」 P156
10.フランク・ザッパ
11.ジャニス・ジョップリン  P243
12.ジョーン・バエズ  P268 P275
13.「ダンス天国」  P287
14.セックス・ピストルズ  P287
15.ヤードバーズ  P289
16.エアロスミス  P297

そして、本書の題名『水曜の朝、午前三時』

"WEDNESDAY MORNING , 3AM" は1964年に発表されたサイモン&ガーファンクルのデビューアルバムだ。このアルバムには「サウンド・オブ・サイレンス」が収録されています。シンプルかつ繊細なアコースティック・サウンドで構成されたこのアルバムは、紛う事なき彼らの原点です。

水曜の朝、午前3時

水曜の朝、午前3時

いろいろな意味で、この小説は私にとって特別なものになりそうです。