佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『あやしうらめしあなかなし』(浅田次郎・著 双葉文庫)

あやし うらめし あな かなし (双葉文庫)

あやし うらめし あな かなし (双葉文庫)

ほろりと懐かしく、読むほどに切なくなる七つの優霊物語(ジェントル・ゴースト・ストーリー)。

本の帯にあるキャッチコピーです。浅田氏の手になる極上の怪談集を堪能しました。怪談といってもおどろおどろしい話でなく、ほろりとさせる語り口はさすがに浅田氏、上手いです。巻末の著者インタビューで浅田氏が語っている言葉

「僕が小説を書くときに考えていることはね、分かりやすく書く、美しく書く、面白く書く−−−この三つなんですよ。これは小説に限らず、全ての芸術に共通する三要素だと思うのですけれどね。」

この言葉が語り部としての浅田氏の質の高さを裏付けています。浅田氏の紡ぐ物語は、どれをとっても分かりやすく面白い。そしてある種の切なさが心を打ち、読後に余韻を残す。最近になって思うことですが、小説というものは分かりやすくなければいけない。小説が読み手に何かを伝えることを前提にしているのだから当然のことです。もちろん、言ってしまえば一言で済むことを物語として膨らませるわけですが、しかし、分かりやすく伝えられることをこねくり回しすぎてはいけない。たとえば著名な大作家O氏は、メタファーを意識しすぎて分かりにくい。深読みをすればこの小説で作者は実はこんなことが言いたかったのではないかなどと、あれこれ想像することで拡がりを持つわけですが、読んでいて疲れるのです。世間が如何にO氏を高く評価しようとも、私にとってはO氏は下等で浅田氏は上等。「分かりやすく、美しく、しかも面白い」浅田氏の小説は極上です。

作中で印象に残ったセンテンス

マザー・コンプレックスという言葉は聞くだにおぞましい。
いったいに何でもかでも、表現しづらいことを外来語でひとからげに解釈しようとするのは、非人間的であると思うからである。聖書に述ぶるごとく、言葉は神なるものであるけれども、けっして人そのものではない。すなわち、人は言葉の力を借りて表現をなすべきであり、もし言葉が人の存在を規定してしまえば、たちまち人間の尊厳は喪われてしまう。
マザー・コンプレックスという猥褻きわまる外来語で規定されるほど、母と子の関係は単純ではあるまい。(P24、赤い絆

僕の性格に潜む劣等感と、その異名としての自尊心(P107、骨の来歴)

平和が真実に優先するのは、戦後日本人の道徳だ。