私はさだまさし氏が嫌いです。それも大がつくくらいに。テレビで彼が出てくるとチャンネルを変えます。ラジオから彼の曲が流れると他局に変えます。別に彼から何らかの被害を被ったと言うわけではありません。私が彼を嫌うのに確たる根拠があるわけではありません。私が彼を嫌うのは不当なのかなとも思います。
彼を嫌うきっかけになったのは「関白宣言」でした。
俺より先に寝てはいけない
俺より後に起きてもいけない
めしは上手く作れ
いつもきれいでいろ
出来る範囲で構わないから
忘れてくれるな 仕事も出来ない男に
家庭を守れるはずなど ないってことを
こんな歌詞をしょーもない曲にあわせて臆面もなく歌える彼がどうにも恥ずかしくて正視に耐えませんでした。さらに
俺は浮気はしない
たぶんしないと思う
しないんじゃないかな
ま、ちょっと覚悟はしておけ
この歌詞なんて、強い男(亭主関白)を標榜しながら実は女性におもねる男そのものですね。もうひたすら恥ずかしく、最低にかっこ悪いと思います。
そんな風に感じながら何故、さだまさし氏の本を読むのか。それはある読書会の今月の課題図書だったからです。彼の本は読みたくなかったので、今月は休もうかなとも考えたのですが、200ページ程度で文字も大きな本だったのでチョチョイと流し読みしてやろうと思ったわけです。文庫化されていて値段も495円と安かったですしね。
- 作者: さだまさし
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2007/04
- メディア: 文庫
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東京で働く咲子は、故郷の徳島で一人暮らす母が末期癌で数ヶ月の命と告知される。徳島に滞在し、母を看取ろうと決心した矢先、咲子は母が自分に黙って「献体」を申し込んでいたことを知る。それはなぜなのか?やがて咲子は、まだ会ったことのない父の存在と、母の想いに辿り着く―。毅然と生きてきた女性の切なく苦しい愛が胸をうつ長篇小説。
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読んでどうだったか?
不覚にも涙してしまいました。
これはもう良いと言わざるを得ない。泣いてしまったのですから。
小説としては文章がどうだとか、深みが無いだとか、お涙ちょうだいの場面をわざとらしく作りすぎて興ざめだとか批判は多いだろう。現に読書会の合評ではそのような意見が大勢を占めました。私もそのとおりだと思います。しかし、文学作品としての完成度が低いからと言ってその小説がダメ小説ということにはならないと考えます。だって人を泣かせるだけの感動がその小説にあるのですから。この小説を読んで私は50歳を目前にした人間として、そろそろ「生き方」だけでなく「死に方」を考えないといけないななんてことを思っています。私が思うにこの小説の良いところは人間にとって命より大切なもの「矜持」を描いているところです。「矜持」を持ち続けて死んでゆくことはとても難しいことと思われます。そして、それが出来ることはとても幸せなことです。