ウェルズの日記

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『真夜中の喝采 − きんぴか 3 / 浅田次郎(著)』(光文社文庫)を読む

「いい若いものが神頼みなんぞしてるんじゃねえ」

「ガキに拝ませてどうなるってえんだ。学校はどうした、バカ」

「やめとけババァ。年金は温泉に行って使え。よっぽど功徳になる」

「やいオヤジ。頼んでどうかなるほど人生は甘かねえぞ。合わせたその手で働きやがれ」

 張り倒された人々が、ひとしくパンを与えられたように感じたのはふしぎなことであった。ピスケンは祭壇の前に立つと、古ぼけた皮コートのポケットに両手を突っこんだまま振り返った。

 差し入る午後の光がその周囲にありありと奇跡の輪を作っているさまに、人々は息を呑んだ。

「いいかおめえら。こうして下せえって拝んでいるうちは、どうにも変わりゃしねえ。こうすっから見てて下せえと神仏に誓って、初めて変わるてえもんだ。人生、そんなもんだぜ」
                               (本書172Pより)


浅田次郎氏の『真夜中の喝采 − きんぴか 3 』を読み終えました。

裏表紙の紹介文を引きます。

草壁明夫が殺された。広橋をスケープゴートにした大物政治家・山内龍造の悪行を報道した、あの気鋭のジャーナリストが…。訃報を耳にした広橋は凍りつき、草壁に伝え忘れたセリフを口にするために立ち上がる。一方ピスケンと軍曹は、ヤクザと悪徳政治家が自己弁護と保身に走るなか、正義の暴走を敢行する。三悪漢の破天荒な物語、ひとまず完結。

文句なしの面白さ。流石は浅田氏、稀代のストーリーテラーだ。

三巻全篇を通じて笑わせていただきました。爆笑も幾たびか。

しかし、笑いながらも何故か悲しい。切ない。このあたりが浅田氏の真骨頂である。主人公のピスケン、軍曹、ヒデさん、そして、脇役の血まみれのマリア、緒方清は常識から外れている。はっきり言ってバカである。それも底なしのバカである。少しでも利口ならそんな生き方はしない。

損得勘定ができれば絶対に別の生き方を選ぶ。世間から外れているのだ。それもハンパなハズレ方ではない。そのハズレ方が滑稽で笑ってしまうのだが、切ないと思いながら泣き笑いになってしまう。何故か。浅田氏は損得勘定や要領といったものをそぎ落とした人間を登場させる。生きていく上で誰もが大切にするそのようなものを否定した人物として、否、そうした小賢しさを超越した価値観を持つ人物として三人の主役を登場させる。読者はその滑稽さを笑いつつ、自分が正しいと信じている生き方が本当に正しいのだろうかとふと考えさせられる。そして、本当に大切なものを持っていない自分、失ってしまった自分に気づき落ち着かなくなる。そして、彼らの滑稽さを笑いつつ、いつか彼らをガンバレと応援するのだが、彼らの生き方が今の世の中でうまくいくはずがないことが解っているから切なくなるのである。愛すべき彼らが社会から抹殺されてしまうことが必然と思えるから泣きたくなるのだ。それでも良いのかも知れない。何故なら彼らはそんなこと屁とも思っていないのだから。

「男なら、腹がへってねえってえ嘘は、一生つき続けにゃならねえ」

ピスケンのこの一言が全てを物語っている。

一応の完結編である。続編を書いてくれないかなぁ。ピスケン、軍曹、ヒデさん、血まみれのマリア、緒方清のその後を知りたい。浅田さん、お願いします。

真夜中の喝采―きんぴか〈3〉 (光文社文庫)

真夜中の喝采―きんぴか〈3〉 (光文社文庫)