待子は「水は砂漠で飲んだ方が美味い」なる発想の転換を、一種の防衛本能により思考の基本において生き延びた。苦しいからこそ助かった時に生まれる小さな幸せを、脳内で最大限に増幅させる術を彼女はいつの間にか身に付けていた。自分にはマイナスをゼロにする以上のことは不可能だと、愚鈍ながら無意識レベルで早々に承知していたのである。
不幸ありきの幸せ。
待子にとって不幸になることは幸福になることとほぼ同義語と言って良かった。
(本文P146より)
- 作者: 本谷有希子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/05/15
- メディア: 文庫
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『腑抜けども、悲しみの愛をみせろ』(本谷有希子:著/講談社文庫)を読み終えました。
題名に惹かれて手に取った本です。これほど挑戦的な題名を読者にぶつけるとは、本谷有希子とは何者なのか、どれほど読ませるのかと興味を覚えたのです。
力があります。その表現力に舌を巻きました。文章を読むとその情景がはっきりとした映像となって頭の中で実を結びます。巻末の著者の経歴をよんで腑に落ちました。劇団を主宰し戯曲を書き、演出を手がける方だったのですね。それが良い意味で小説に影響していると思われます。
さて、小説の中身ですが、痛々しいです。読んでいてこれほどつらい話はない。私の好みではありません。
裏表紙の紹介文を引きます。
「あたしは絶対、人とは違う。特別な人間なのだ」―。女優になるために上京していた姉・澄伽が、両親の訃報を受けて故郷に戻ってきた。その日から澄伽による、妹・清深への復讐が始まる。高校時代、妹から受けた屈辱を晴らすために…。小説と演劇、二つの世界で活躍する著者が放つ、魂を震わす物語。
描かれているのは「絶望」、あるいは「愛憎」、それとも「諧謔」・・・