佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『月下の恋人』(浅田次郎:著/光文社文庫)

しがらみや。ええか、それはしがらみいうもんや。人は生きなあかん。極楽往生して、仏さんのおみあしに傅くまでな、一生懸命に生きなならん。恨みつらみは水に流し、恩や情けを岩に刻んで生きよなぞいうのんは、人生をなめくさっている人間の言うこっちゃ。生きるいうことはそないに甘いもんやない。恨みつらみも、恩も情けも、この先の長い人生の道を踏み惑わせる種になることに変わりはないんやで。人はみな、やや子のようにまっさらな気持ちで、たしかな一歩を踏まなあかん。その一歩一歩が人生や。恨みつらみも愛すればゆえ、恩も情けも愛するがゆえ、片っぽを流してもう片っぽをうまくせき止めるよな都合のええしがらみなんぞ、あるもんかいな」                      (本書138P「忘れじの宿」より)

月下の恋人 (光文社文庫)

月下の恋人 (光文社文庫)

 『月下の恋人』(浅田次郎/著・光文社文庫)を読み終えました。浅田氏の小説集には月にまつわる話が多いですね。先日は『月島慕情』を読みましたし、ずいぶん前に読んだ『月のしずく』は私の最も好きな浅田作品です。泣かせあり、不思議な余韻を残す物語あり、十分に楽しませていただきました。浅田作品をして「あざとい」と非難する向きがあるようですが、そのような評価があるのは「小説の大衆食堂」を自認する浅田氏の巧さの裏返しではないでしょうか。
 この短編集の最後に収められている「冬の旅」の書き出しで浅田氏は、川端康成の小説『雪国』の書き出し〈国境の長いトンネルを抜けると…〉を「コッキョウ」と読むか「クニザカイ」と読むかについて主人公に語らせている。すなわち、一般にこの名作の冒頭を「コッキョウ」と読み慣わしているけれども、「クニザカイ」であるはずだと。島国の日本に国境の概念はない。ただし古来の「お国境」は小説の書かれた昭和初期には一般的な言葉であったろうというのである。その疑問に対し小説中に登場する教師は、もし「クニザカイ」と読むのであれば、ふりがなをふるか、あるいは「国境い」と送りがなをふすはずであると否定する。しかし、主人公は次のように考えるのである。

それはちがうと思った。「国境い」という字面は悪く、また冒頭の単語にいきなりふりがなを打つのは、おそらく小説家の美意識が許すまい。

この「おそらく小説家の美意識が許すまい」の一言に浅田氏の小説に対する姿勢が垣間見える。

裏表紙の紹介文を引きます。

恋人に別れを告げるために訪れた海辺の宿で起こった奇跡を描いた表題作「月下の恋人」。ぼろアパートの隣の部屋に住む、間抜けだけど生真面目でちょっと憎めない駄目ヤクザの物語「風蕭蕭」。夏休みに友人と入ったお化け屋敷のアルバイトで経験した怪奇譚「適当なアルバイト」…。珠玉の十一篇を収録。