佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『小石川の家』

はい、と言っても、いいえと言っても返事にはならない。

こういう状態を母と私は三又(さんまた)といった。

はいも駄目、いいえはなお、三つ目の、聞いてきますの一時のがれも利かない。

どの道叱られる他はない、黙って畳のへりでもぼんやり見ていれば、

そこに返事が書いてあるのか、と突込まれ、口を利かずに腰を浮かせれば、

返事もしないで座を立つことが出来るのか、ならば立ってみろ、と足払いがかかる。

小石川の家 (講談社文庫)

小石川の家 (講談社文庫)

『小石川の家』(青木玉/著・講談社文庫)を読みました。

まずは裏表紙の紹介文を引きます。

昭和十三年幸田文は離婚し、娘の玉を連れ青々と椋(むく)の枝がはる露伴の小石川の家に戻った。万事に愚かさを嫌う祖父の小言の嵐は九つの孫にも容赦なかった。祖父の手前蹴とばしても書初めを教える母。「二度はご免蒙りたい」十年の歳月をクールにユーモラスに綴り、晩年の露伴、文の姿を懐かしく匂い立たせる。

青木玉氏は幸田文氏の娘です。ということは幸田露伴氏の孫にあたる。

昭和十三年五月、幸田姓にもどった母・文が、九歳になった著者・玉をつれて小石川の幸田露伴の家に転居してから、祖父・露伴が没した昭和二十二年、そして母・文が亡くなる平成二年までのあいだの幸田家の生活、想い出を随筆に著している。

祖父への尊敬と畏怖、それを九歳のころの青木玉氏は母・文さんの露伴氏に対する献身ぶりから感じ取る。

日常の全てにおいて家族に対し教養と高尚さをもって生きることを科し、安直な卑俗性を憎んだ露伴は、幼い孫にさえ思慮深くきちんといきることを求める。

母・文もそのような露伴の意に沿って娘を厳しく躾ける。

このような躾のあり方には、賛否両論あると思います。

しかし、子に対する厳しい躾はその裏腹のこととして躾ける側の責任と覚悟があります。

つまり、子を厳しく躾けるからには自分がそれを出来ていなければならない。

そして、躾けた当事者として、子の行く末に責任をとるということ。

この本に書かれた露伴の振るまいは現代のおおかたの基準に照らして、ものすごく我が儘です。

しかし、それをするからにはその責めを一身に引き受け、家族の生活、行く末までも責任をとるという強い覚悟があるはず。

「あなたにはあなたの人生があるから・・・」などという逃げをうたない姿勢、それを感じるからこそ娘も孫も従う。

ここに現代に生きる私たちが忘れかけている生き方があります。

その忘れかけている生き方とは、たとえば「長幼の序」であり「凛と背筋を伸ばした生き方」です。

この本を読み一昔前の凛とした生き方に触れるにつれ、私たちが失いつつある「気高さ」という価値観が呼び覚まされます。

読み終えてなんと清々しくなることか。

本の装丁も良いです。安野光雅氏の水彩画がすばらしい。