ウェルズの日記

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『犬の記憶』(森山大道:著/河出文庫)

 『犬の記憶』(森山大道:著/河出文庫)を読みました。

まずは出版社の紹介文を引きます。

「いったん逃げた風景のかずかずは、僕の内部でもうひとつの風景となってある日とつぜん立ち現われてくる。それは、まったく時空を超えた視覚のなかと脈絡を絶った意識のなかに、ふと再生されてくるのである」。写真は現在と記憶とが交差する時点に生ずる思考と衝動によるもの、という作者の、自伝的写真論。巻末に横尾忠則による森山大道論を付す。

 

犬の記憶 (河出文庫)

犬の記憶 (河出文庫)

 

 先週、『海も暮れきる』(吉村昭:著/講談社文庫)を読み、自由律俳句について少し考えました。自由律俳句に決まりはありません。季語は必要なし、字数も全く五七五にこだわる必要なし。長さもあまり長すぎると俳句らしくないといった程度で別に決まりはないのです。そうすると「いったい自由律俳句とはなんぞや」という疑問が頭を擡げるのです。やはり、ただの短い言葉を俳句というわけにはいかないと思うのです。俳句というからには、それが何か詩的なものを感じさせる、あるいは心を揺さぶるものであろうと思ったのです。そう考えたとき、私の頭の中に森山大道氏の写真が思い浮かんだのです。写真と自由律俳句は似ていると・・・。自由律俳句は文字であるが、ある瞬間、ある画を切り取っているという点で写真と同じではないかと感じるわけです。

前置きが長くなりましたが、そんなわけで本棚に買い置いていた『犬の記憶』を読むことにしました。文章だけでなく写真が多く収められているが、文庫本で紙質が良くないので写真はそれなりのものになってしまう。ただ、森山氏の写真の質感は充分に伝わる。つまり森山氏によって象徴化、抽象化された記録である。あるいは本書に書かれた表現を引用するとすれば「光の記憶と化石」である。また、横尾忠則氏に言わせれば「作りすぎている文章」だが、それがまたイイ。森山氏の写真と文章に記された森山氏の思考が相まって我々に「写真とは何か」を問いかけ迫ってくる。