佐々陽太朗の日記

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『語りかける花』(志村ふくみ・著/ちくま文庫)

『語りかける花』(志村ふくみ・著/ちくま文庫)を読みました。

 

まずは出版社の紹介文を引きます。

染織家で人間国宝の著者の、『一色一生』に続く、第二随筆集。自らの道を歩む中で、折にふれ、山かげの道で語りかけてくる草や花。その草木たちから賜る無限の色。その色を吸い込む糸。それを織ってゆく思い。染織の道を歩むものとして、ものに触れ、ものの奥に入って見届けようという意志と、志を同じくする表現者たちへの思いを綴る。日本エッセイスト・クラブ賞受賞作品。 

 

語りかける花 (ちくま文庫)

語りかける花 (ちくま文庫)

 

 私が参加している月いち読書会『四金会』の今月の課題書です。染織家で人間国宝、名随筆家でいらっしゃるが、お名前ぐらいは聞いたことがあっても男の私にはこれまで縁遠かった存在であった。『四金会』に参加していなければ生涯、志村氏の文章に触れることもなく、氏の紬織を知ることもなかったかもしれないと思うと『四金会』のご縁に感謝するばかりです。

 美しい文章です。たとえば「冬を越えよ」というエッセイの一文を引いてみると、

 東天にかすかに赤みが射しはじめると、釈迦堂(清凉寺)の山門が黒々と浮かび上がり、右肩に暁の明星がかかっている。

 凍てついた朝は空が燃えるようで、灰紫色の雲が垂れこめたむこう側に何が起こっているのか、ほんの数刻、盃の底に凝りたまった紅のように濃密な赤がどんな刷毛でたくまず薄められてゆくのか、東の空をどこからどこともいいがたく暈(ぼか)し流して、光の源から放射する紅は、橙(だいだい)に、鴇(とき)に、淡紫に、はては水浅黄になってはるか天空に溶けてゆく。山々の稜線がこの一瞬ほど美しい時はない。

  なんとまあ美しい。情景を描写する文章として秀逸であると同時に、色が眼の奥、脳に近いところにそのイメージを実に鮮明に結ぶのである。「冬を越えよ」が書かれたのが一九八四年のこと。現在、志村氏が九十一歳でいらっしゃることを考えると、氏が六十一歳の頃に書かれたものと推察される。とすると今の私の年より五歳上。五年後の私がこのような文章を書けるとはとても思えない。若い頃からずっと長い間をかけて積み重ねてきたものが違うのだ。「六十の手習い」という言葉があるが、これから私がものを書き始めたとして、あるいは草木染めを始めたとして、到達点はたかがしれているだろう。日々の積み重ねはそれほど軽いものではない。それだけに志村氏が到達なさった感性、知識、技能は他の者が容易にまねのできない域にある。志村氏を知って私は「老い」の価値を知った。時間を積み重ねていくことでしか獲得できないものが確かにある。とすれば「老い」は必ずしも悪いことばかりではない。志村氏は「第五の季節」というエッセイの中で「老いとは、時間にめざめる事ではないのだろうか」と仰る。私はすでに多くの時間を無為に失ってしまったのかもしれない。しかしせめて志村さんを見習い、美しく老いることを意識して生きてゆきたいと思う。志村氏の如く「たけたる位」に上ろうとしても、及ぶべくもないのであるが。

 また、本書を読んで私が「草木花の種類とその色をなんと表現するか」について、あまりにも貧弱な知識しか持たないことに気づいた。「四金会」メンバーに良い本を紹介していただいた。『日本の色辞典』(吉岡幸雄・著/紫紅社)がそれである。これから少し勉強しようと思う。

 

日本の色辞典

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