佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『タオ 老子』(加島祥造・著/ちくま文庫)

 『タオ 老子』(加島祥造・著/ちくま文庫)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

文字の奥にひそむ老子の声、それを聞きとるのは生命のメッセージを感得することだ。さりげない詩句で語られる宇宙の神秘と人間の生きるべき大道(タオ)とは?生き生きとした言葉で現代に甦る『老子道徳経』全81章の全訳創造詩。

 

タオ―老子 (ちくま文庫)

タオ―老子 (ちくま文庫)

 

 

 奪うな、争うな、足りていると感じよ。高慢な奢りやとめどない欲は人を幸せにしない。タオ(道)につながる人は、いまの自分に満足する。頑なになるな、無理やり事をなすな。堅いものではなく、柔らかくしなやかなものこそ強いのだ。勝とうとすれば負け、取ろうとすれば失う。虚ろとは受け入れる能力。大いなる流れを受け入れるには虚ろで静かな心でいることだ。無為とは何もしないことでは無い。余計なことをするなということだ。

 タオ(道)の働きは水のイメージ。はじめの自分は谷川の小さな流れだった。タオ(道)につながる人はそのことを思い起こしそこへ帰ってゆく。それはあふれ出て左へゆき、右へゆく。そしてその流れはゆったりと大海に至る。

 ”はじめの自分は谷川の小さな流れだった”ことを思い起こすと云うこと、そのことをイメージできる場所を私は知っている。去年の10月はじめに私はそこにいた。二度目の訪問であった。その場所は豊島美術館

これがその時の写真

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 瀬戸内海にうかぶ小さな島、豊島の小高い丘の中腹にあるそれこそ水滴をイメージさせる白いドーム。建築家・西沢立衛とアーティスト・内藤礼によって2010年につくられた美術館。周囲には棚田が広がり、その棚田の向こうには青い海がひろがる自然と建築、そしてアートが融合した夢のような空間だ。一時はゴミの島になってしまったことがあるとは信じられない。

 緑に包まれた白いドーム内に裸足で入ると、天井に二カ所大きな丸い穴が空いており、そこから青空が見え、ドーム内に光が差し、微かな風が静かな空間に揺らぎを与えている。ドーム内は真っ白な空間だ。下に目をやるとところどころに水たまりがある。しゃがんで目をこらすと、ところどころ水がしみ出しているところがある。じっと見ていてもすぐにはしみ出していることが分からないほどのゆっくりゆっくりと成長する小さな水滴は、やがて床の勾配にそって静かに移動し、他の水滴と一つになる。まるで生き物のように水滴が動き、又別の水滴と一緒になる。いくつかの水滴が一緒になるとやがて水滴は川のような流れを創り出し、低いところに大きな水たまりのような泉を創り出す。それはすこしずつすこしずつ大きく成長し、あふれ出すようにまた水が異動し始める。そしてさらに低いところに移動し泉を創り出す。その動きはゆったりとした長い時間をかけてあらわれるので、あたかも時間が止まっているような空間にあって研ぎ澄まされた感覚を、微かな風と水のうごきがやさしくなでてくれるような心地よさだ。一~二時間も腰を下ろして、その心地よい空間にじっと身をゆだねていた。甲高い声で発せられる中国語で静寂が破られるまでは。

 数人の中国人のオバサン連中がめいめいに何かをしゃべりながら入ってきた。一瞬、殺してやりたい気分に襲われる。しかし老子ならば、タオ(道)の人ならばこんなときも自然で静かな気持ちでいるのだろうな。誰を選び誰を捨てるなんてことはしない。「善い人間」と「悪い人間」とは、ただの裏表のことにすぎない。「善い人間」が「悪い人間」の手本だとすれば、「悪い人間」は「善い人間」を学ぶ材料。いわばそれが無くては「善」を知り得ないと・・・。
 まだまだ修行が足りません。