佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

第2回 藤原正彦 エッセイコンクール

「第2回 藤原正彦 エッセイコンクール」の表彰式に行ってきました。

といっても見学です。表彰されたわけではありません。選外でした。

表彰式に行って分かったことは、藤原館長の選考基準に「ユーモア」と「発見」があるらしいこと。来年応募に向けた「傾向と対策」として、いちおう胸に留めておく。

一般応募で最優秀賞となった『世界を名付ける』というエッセイは素晴らしいものでした。心あたたまる情景が読む者の頭に浮かび、作者の人生観が腑に落ち、爽やかで満ち足りた読後感がある作品でした。「私の文章が選に漏れたことに何の異存もありません。一年間精進して来年また出直しますだ。お許しくだせえ、お代官様」ってな気分です。

高校生部門の最優秀賞『うら』も素晴らしかったです。作者は姫路西高等学校の二年生。私の後輩ではないか。後輩にして40年ばかり先輩(私)をすっかり追い越しているではないか。情けないやら嬉しいやら・・・

表彰式の後、藤原正彦館長の講評と講演があった。ユーモアを交えながらご自分のお考えを的確に聴衆に伝える素晴らしいものであった。印象に残ったのは2本が推進しようとしている小学生からの英語教育についての論評であった。これば確かご著書にもすでに書かれたことだったとは思うが、私もまさにその通りだと思う。論旨は次のとおりだったかと思う。

昨今、政府、財界がこぞってグローバリズムを唱え、国際人を育てるべく英語教育の必要性を訴えている。しかし、たかが目先の金儲けビジネスの視点で教育を語って欲しくない。教育は国家の百年後のあり方を決めるものだ。小学校では英語を学ばせるより、母国語を徹底的に学ばせるべきだ。国際人とは日本人としてキチンとした教養を持ち、外国人から尊敬を受ける人物であって、単に英語をしゃべれる人ではない。「英語がしゃべれること」=「国際人」と云うがアメリカ人は全員英語がしゃべれる。しかし彼らの中に国際人といえるのはごく一部である。英語はぺらぺらしゃべれるが日本人として中身のない人間は、なまじ英語がしゃべれるだけにかえって外国人から見てカラッポの人間だと云うことが透けて見えてしまう。こんな人間が外国に出て行くことは国賊と云ってもいいぐらいの行為だ。