佐々陽太朗の日記

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『水晶萬年筆』(吉田篤弘・著/中公文庫)

『水晶萬年筆』(吉田篤弘・著/中公文庫)を読みました。

まずは出版社の紹介文を引きます。

アルファベットのSと「水読み」に導かれ、物語を探す物書き。影を描く画家。繁茂する導草に迷い込んだ師匠と助手。月夜に種蒔く人。買えないものを売るアシャ。もう何も欲しくない隠居のルパン―人々がすれ違う十字路で、物語がはじまる。流れる水のように静かにきらめく六篇の物語集。

 

水晶萬年筆 (中公文庫)

水晶萬年筆 (中公文庫)

 

 

 単行本では『十字路のあるところ』であった本書が文庫本では『水晶萬年筆』という本書に収録された一編のタイトルとなっている。私の好みとしても文庫本のタイトルの方が好もしい。

 収められた6編のうち「ティファニーまで」と「黒砂糖」については、師弟の会話が先日読んだ『モナ・リザの背中』と共通する諧謔がありクスリと笑わせる。最近の吉田氏のスタイルなのかもしれない。

 わけの解らないものはあるけれど、余計なものがない静かな世界は吉田氏独特のものだ。雰囲気で押し切る作家さんだと思う。だから読んでいて小説世界にドップリはまる場合もあれば、そうでない時もある。例えばあちこちの町に住んでみたとして、その町が好きになるかどうか、そうしたものは何か言葉で説明できないところで決まっている。そういうことだ。「雨を聴いた家」と「水晶萬年筆」が私の好みです。

 吉田氏の小説は現実と抽象の間にある。抽象から導き出された観念を表現しているともいえる。その手法は現実の世界に夥しい余計なものを削ぎ落とすことで観念を導き出すというものだ。現実の生々しさにうんざりした時、吉田氏の小説は束の間の夢ともうつつとも判然としない時を与えてくれる。それは本を読む人にとって”sanctuary”なのかもしれない。

 本書にあったお気に入りの言葉をいくつか拾ってみる。

 

水が笑う、とあの本にあった。

 

ーーー珍しいものは好きで嫌いだ。

 

最初は影を好む自分が不可解だった。が、描くうちに影の魅力とはそれがそこにある本物の証拠であるからだと気付いた。人が人々になり、星が星々になるように、濁りや影が生まれて初めて確かなものが現れる。

 

 「自由を求めるあまり、ずっと不自由だった人です」

 

「物事には常に中間というものがある。大か小かで悩むのはナンセンスだ。その間にあるものを忘れてはならん」

 

「夜を拾うんだ、吉田君」

 先生は事あるごとにそう言っていた。

「ピアノから黒い鍵盤だけ拾うみたいに」

 

「夜は生きていると、とりあえず仮定してみる。あくまで仮定だが。実際のところ、死んではいない。まぁ、生きてもいないだろうが」