佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『赤めだか』(立川談春・著/扶桑社)

『赤めだか』(立川談春・著/扶桑社)を読みました。

 四年ほど前に読みたいと思い買い置いたものが本棚に眠っていました。この年末に本を整理していて、正月はこれを読もうと手に取ったものです。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

サラリーマンより楽だと思った。

とんでもない、誤算だった。

落語家前座生活を綴った破天荒な名随筆。

 

立川談春のエッセイというか自伝というか青春期というか、あのページが早く単行本にならないだろうか。あらゆる雑誌の中でいまいちばん面白い」 (”本の雑誌”07年1月号より エッセイスト・目黒孝二)

 

「笑わせて、泣かせて、しっかり腹に残る。プロの書き手でもこの水準の書き手は、ほどんどいない。間違いなくこの人は、言葉に祝福されている」 (文芸評論家・福田和也

 

 

赤めだか

赤めだか

 

 

 談春立川談志の弟子になり、二ツ目にあがり、やがて真打ちになるまでを描いた自伝的エッセイ。とはいえ、ここに書かれているのは談志(イエモト)のこと、いかに談志が魅力的か、自分がいかに談志に惚れぬいているかである。

 修行とは矛盾に耐えることである

談志(イエモト)が入門前の弟子に必ず言っていることである。「矛盾」を「相反するもの」あるいは「背反するもの」ととらえれば良いのであろう。しかし私なりには「矛盾」を「理不尽」と置き換えて理解している。談志(イエモト)の言うこと、求めることはしばしば理不尽と思える。特に修行を始めたばかりの若い弟子たちにとっては無理難題にも思えるだろう。弟子たちが理解できないことであっても談志(イエモト)はいちいち説明しない。落語の稽古は丁寧だが、その他のことはぞんざいに言いつける。四の五の言わずやれということだ。時には以前とは違うことも言う。それは談志(イエモト)が生身の人間であり、現在進行形で自分のあり方を考えているからであり、その意味でつねに揺らいでいる存在だからだ。それを理解せよ、納得せよということではない。オレ(談志)にとことん惚れろ。そして惚れたなら、オレ(談志)を喜ばせろ。とことん惚れた人を喜ばせられない者が客を喜ばせられるかということであろう。

 そう談志(イエモト)は理屈っぽいが、実は「情」の人なのである。談志の語る落語で私が大好きなものに『五貫裁き』がある。その中で大家・多呂兵衛がケチで薄情な徳力屋に啖呵を切る場面がある。その場面には談志の思い入れがたっぷりと入っていると思えるのでここで引いておく。

なんだってんだ、こんちくしょう。
八公は乞食じゃねぇんだ、ものもらいじゃねぇんだぞ。
「やったらとはなんだ」 てめえらの頭はそうなってやがるからろくなことはねえんだ。
確かに八公は法を曲げた、法を曲げたから大岡様から科料をくらった。
しかたがねえ。
てめえところは法を曲げてはいねえかもしれねえが、人の情に背くからこんなことになるんだ。
この大バカやろうめ!

 法や理屈を大事なものと知りながら、一等大事なものは「人の情」だと言い切る談志。我々は談志の落語だけが好きなのではない。談志という人間が好きなのだ。そして談志に惚れ抜いている一門のあり方が好きなのだ。

 本書に書かれた談志(イエモト)の言葉で特に心に響いたものを忘れないために引いておく。

【落語とは人間の業の肯定である】

あのネ、君たちにはわからんだろうが、落語っていうのは他の芸能とは全く異質のものなんだ。どんな芸能でも多くの場合は、為せば成るというのがテーマなんだな。一所懸命努力しなさい、勉強しなさい、練習しなさい、そうすれば最後はむくわれますよ。良い結果がでますよとね。

忠臣蔵は四十七士が敵討ちに行って、主君の無念を晴らす物語だよな。普通は四十七士がどんな苦労をしたか、それに耐え志を忘れずに努力した結果、仇を討ったという美談で、当然四十七士が主人公だ。スポットライトを浴びるわけだ。でもね赤穂藩には家来が三百人近くいたんだ。総数の中から四十七人しか敵討ちに行かなかった。残りの二百五十三人は逃げちゃったんだ。まさかうまくいくわけがないと思っていた敵討ちが成功したんだから、江戸の町民は拍手喝采だよな。そのあとで、皆切腹したが、その遺族は尊敬され、親切にもされただろう。逃げちゃった奴らはどんなに悪く云われたか考えてごらん。理由の如何を問わずつらい思いをしたはずだ。

落語はね、この逃げちゃった奴らが主人公なんだ。人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもつい飲んじゃう。夏休みの宿題は計画的にやった方があとで楽だとわかっていても、そうはいかない。八月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。

寄席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェヨ。でも努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。

『落語とは人間の業の肯定である』

よく覚えときな。教師なんてほとんど馬鹿なんだから、こんなことは教えねェだろう。嫌なことがあったら、たまには落語を聴きに来いや。あんまり聴きすぎると無気力な大人になっちまうからそれも気をつけな!

(本書P12~P13より)

 

【嫉妬とはなにか】

お前に嫉妬とは何かを教えてやる。

己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬というんです。一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿という。

(本書P116より)

 

 締めくくりに談春が談志に入門したいと思ったきっかけという「芝浜」を聴く。といっても年末年始は毎晩、談志の「芝浜」を聴きながら眠っているのだが・・・。

 何度聴いても聞き飽きない。それが古典落語のいいところだ。

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