佐々陽太朗の日記

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『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石(上・下)』(伊集院静・著/講談社文庫)

『ノボさん 小説 正岡子規夏目漱石(上・下)』(伊集院静・著/講談社文庫)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

【上巻】

「ノボさん、ノボさん」「なんぞなもし?」
べーすぼーるに熱中し、文芸に命をかけたノボさんは、
人々に愛され、人々を愛してやまない希有な人。

明治維新によって生まれ変わったこの国で、夢の中を全速力で走り続けた子規の、人間的魅力を余すところなく伝える傑作長編!


伊予・松山から上京した正岡常規(子規)は旧藩主久松家の給費生として東京大学予備門に進学すると、アメリカから伝わった「べーすぼーる」に熱中する。同時に文芸に専念するべく「七草集」の執筆に取り組んでいる頃、同級生で秀才の誉れ高い夏目金之助と落語で意気投合するが、間もなく血を吐いてしまう。

司馬遼太郎賞受賞作

 

【下巻】

子規は、今も私たち日本人の青空を疾走している。子規は、今も私たち日本人の青空を疾走している。小説家・伊集院静がデビュー前から温めてきた、正岡子規の青春。
俳句、短歌、小説、随筆……日本の新たなる文芸は、子規と漱石の奇跡の出逢いから始まった! 偉大な二人の熱い友情を描いた感動作!
<内容紹介>心血を注いだ小説の道を断念した子規は帝大も退学し、陸羯南が経営する日本新聞社に入社する。母と妹の献身的な世話を受け、カリエスの痛みをおして俳句をはじめとする文芸の革新に取り組む子規を多くの友が訪れ、「ホトヽギス」も創刊されるが、漱石はイギリスへと旅立っていく……。司馬遼太郎賞受賞作。


「子規が語られるとき、どうしても近代文学史に刻まれたおびただしい業績を中心にスーパーマンのような偉人として描かれがちだが、本書を読むと、等身大の人間正岡子規としての「ノボさん」がくっきりと立ち上がって、読者に向かって微笑んでくるのだ。ページを手繰るうちにわれわれも、「ノボさん」の友人の一人のようになり、飾らぬ伊予弁の口調になごみながら、誠実でひたむきな人柄にほだされていく。」  

――清水良典「解説」より

 

 

 

 

 正岡子規の名は小学生の頃から知ってはいたものの、子規はこれまで私の興味の外にあった。まず私はこれまで俳句の面白さを知らずに来た。ところが最近TBS系列のTV番組「プレバト!!」を視て、俳句ってこんなに面白いものだったのかと感じている。通俗的で恥ずかしいばかりだが、訳知り顔をしてもしかたがない。私はその程度の野暮天である。

 また、子規は私の興味の外にあっただけに、俳句雑誌「ホトトギス」を創刊した人程度の知識しか無い。かつて読んだ司馬遼太郎の『坂の上の雲』には秋山好古秋山真之正岡子規の三人が主人公として描かれていたが、秋山兄弟ほどには子規に魅力を感じなかった。しかし、本書を読んで子規の印象が一変した。本書に登場する子規は実に魅力的なのだ。俳人、文学者というよりは、ベースボールを愛する書生であり、多くの才人に慕われ友だちのよしみを結んだインフルエンサーとしての魅力に溢れている。その意味で伊集院氏が本書を『ノボさん』と題したのは正解だろう。偉そうな言い方になるが、本書の伊集院氏の文章は小説として決して良くはない。しかし、子規を『ノボさん』として魅力的に描くことに成功している。

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

 この句を私は小学校6年のときに知った。以来この句は私にとって芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」に並ぶ俳句の代表的なものとなっている。正直なところ大した句とは思えないでいたし、本書を読んだ今もそれは変わらない。ただ、本書を読んで子規が文芸にかけた思い、とりわけ俳句に書けた思いと執念ともいえる活動を知り、この句が詠まれた状況をありありと知った今、この句は私の心に子規の生きざまとともに刻み込まれた。楽しませていただきました。