佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『黄金の日日』(城山三郎・著/新潮文庫)

黄金の日日』(城山三郎・著/新潮文庫)を読みました。

まずは出版社の紹介文を引きます。

戦国の争乱期、南蛮貿易で栄える堺は、今井宗久千利休らによって自治が守られていた。その財に目をつけた織田信長は堺衆と緊密な関係に。今井家の小僧助左衛門は信長に憧れ貿易業を志す。しかし信長の死後、豊臣秀吉の圧政で堺は血に塗れる。自らの自も危機に瀕した助左衛門は、全てを捨てルソンへ―。財力を以て為政者と対峙し、海外に雄飛していった男の気概と夢を描く歴史長編。

 

黄金の日日 (新潮文庫)

黄金の日日 (新潮文庫)

 

 

 NHKで『黄金の日日』が大河ドラマとして放映されたのは1978年の1月から12月までのこと。私が高校二年生から三年生にかけてのことであった。その前作『花神』の大村益次郎にも心躍らされたものであったが、六代目・市川染五郎が演じた呂宋助左衛門が私の中でのヒーローであった。つまり「武」ではなく「知」を武器に活躍するヒーローを私は望んでいたのだ。幼稚園、小学校と体が小さくひ弱であった私にとって、戦国の武将はおろかスポーツ選手も心の底ではヒーローにはなり得なかったのだ。大村益次郎や呂宋助左衛門に大いなるシンパシーを感じたのだ。

 戦国時代において私が好きな人物は二人いる。それは織田信長石田三成である。信長は非情なまでに理知的な判断を下せるところ。三成は理に優れるところが魅力です。どちらも先進的すぎたが為に人に理解されにくいところがあり、道半ばにして生涯を終えたと見える。二人にとっての不幸は時代が一歩遅れてついてきたこと、おそらく少し早すぎたのだろう。本所において三成が登場した場面、特に秀吉の正妻・寧々のひと言は実に印象的だ。助左衛門が秀吉に会ったとき、未だ少年の近侍・三成が茶を運んでくる場面である。

 長い距離を歩いてきた助左衛門に対し、最初は大きな茶碗にぬるい茶をたっぷり入れて持ってきた。喉が渇いていて一気に飲み干した助左衛門を見て、三成は同じ茶碗でもう一服運んできた。今度は前より少し熱い茶が茶碗に半分持ってきた。下限も量もほどほどであった。「どうだもう一服」と秀吉に勧められ、三杯目にはどんな茶が出てくるのかと楽しみに待っていると、三成は今度は小さな茶碗に熱い茶を少しだけ入れて持ってきた。その茶は最高の仕上げであったという。

 秀吉が天下人となったのは三成のような能吏を召し抱えたからだろう。当時の兵站は現地調達。商人らとの交渉、金の管理、後方の組織化など有能な事務方なしには戦は勝てない。武器の調達や外交的活動も事務方の仕事である。戦の現場における勇猛果敢な武将の単独の活躍など、兵を鼓舞する効果はあったとしても大局を決するとも思えず単なるスタンドプレーでしかない。後世において、そのように優秀な三成が関ヶ原での勝者・徳川側の史観によってこき下ろされるのは残念なことだ。本書において城山氏は、三成を旧弊にとらわれることなく聡い判断をし、有能な人材を召し抱え、自由交易を拡げようとした人物として描いている。けっして高慢で小心な人物などではなく、むしろ情に厚く、理知的であってなお義を貫く人物であって、不利とわかっていても亡き主君・秀吉の遺志を大切にした忠義の人物として描かれている。嬉しい限りです。

 もう一点、私が本書を好む理由は助左衛門の考え方、そしてその背景にある自由都市・堺のあり方にあります。室町・戦国時代にあって、世界を相手に貿易をし、独裁ではなく大事なことは会合衆の合議で決したという自治の町であったという堺。繁栄の中にあって茶の湯文化、ひいては日本文化の優れた概念ともいえる「わびさび」という美意識を生み出した町。堺はなんとすごい町であったことか。そんな町で活躍した助左衛門の考え方が表れた頁がある。助左衛門の思い人・美緒が切支丹・高山右近に憧れ、ますますキリスト教に傾倒してゆく姿を目の当たりにして敢えて憎まれ口をきく場面である。引用する。

「義とか教えとか、なぜ、よけいなもので、わが身を縛るのですか。この堺をごらんなさい。だれもが、たのしく生き生きとくらしています。あなたも、堺衆の女房になりなさい。そして、日本中を堺のようにすれば、それだけで十分ではありませんか。堺のような町では、だれもあなたのように悩んでいるひとはいません」

「みんな、魂がないからなのです」

「魂など、あってもなくてもよろしい。いま、幸せに生きているかどうかです」

「お黙りなさい」

「いえ、黙りません。あなたを、おめおめ、血や煙硝のにおいの中へは、やれないのです」

「わたしは、うつろに生きたくなんかないのです」

「堺はうつろには生きていませんし、ただ幸せに恵まれているのではありません。堺は、つとめています。何物にもとらわれまいとしてきました。堺は、いつも、状況を早くつかんできました。堺は努力して生きてきたのです。だから、いま、みんな安心して・・・・・・」

美緒は、耳をかさず、小走りに歩く。

                   (本書P153-154 抜粋)

 堺は、この時代において「現実の今」を生きている。皆が自分の才覚、価値観、美意識をよすがに懸命に生きている。幸せや成功は天から与えられるものではなく、自らの心がけ、行動で獲得するものだと承知している。私が信仰というものに違和感を感じるのはまさにその点なのだ。信仰(宗教)は絶対的なものをつくりあげる、それは教義やらカリスマ的教祖である。いちど絶対的なものが出来上がると、そこが出発点であり到達点でなくてはならなくなる。そこにウソやまやかしが生じてしまう。もっとも絶対的にそれを信じてしまっている人には、それはウソでもまやかしでもなく、それは世が間違っているのであり、あるいはそれこそ悪魔の所業だということになる。そのような信者に私は有効な言葉を持たない。それこそ前記の助左衛門と美緒の会話のとおり、そのような言葉は絶対的な信心のまえには不毛であるといわざるを得ない。ともあれ、私は本書で描かれた呂宋助左衛門の考え方生き方を支持するものである。

 そんなこんなで私はこの春に二度、堺を訪れ、堺の歴史の一端を垣間見た。堺の町とそこにゆかりの人物を少しずつ知るにつけ、その魅力にどんどん絡め取られてしまった。これから幾度となく堺を訪れることになるだろう。そんな気がする。