佐々陽太朗の日記

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『バッタを倒しにアフリカへ』(前野ウルド浩太郎・著/光文社新書)

『バッタを倒しにアフリカへ』(前野ウルド浩太郎・著/光文社新書)を読みました。

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 まずは週刊文春に掲載されたレビューを引きます。

一発逆転を狙ってモーリタニアに旅立った“バッタ博士"の記録

「大学院を出て、ポスドクとして研究室にいた頃は、安定した職もなく、常に不安に苛まれていました。博識でもなく、誇れるような実績もない。友達と楽しく飲んでいても、トイレにたったときに研究の手を止めた罪悪感に襲われる日々でした。なので、一発逆転を狙おうと」

日本ではスーパーで売っているタコの産地として知られるモーリタニア。バッタ研究者だった前野さんは、思い立って一路モーリタニアへ。このたび、かの地で経験した一部始終を記した『バッタを倒しにアフリカへ』を出版した。

サバクトビバッタはアフリカで数年に1度大発生し、農作物に大きな被害を与えています。私はこのバッタの研究者なのに、人工的な研究室で飼育実験ばかりしており、野生の姿を見たことがなかった。自然界でのバッタを観察したいという気持ちもありました」

本書は、現地の言葉(フランス語)もわからずに飛び込んだ前野さんの冒険の記録でもある。

まえのうるどこうたろう/1980年秋田県生まれ。昆虫学者(通称バッタ博士)。弘前大学卒、神戸大学大学院、京都大学白眉センター特定助教などを経て、現在はつくば市国際農林水産業研究センター研究員。他著に『孤独なバッタが群れるとき』がある。写真:著者提供

渡航ぎりぎりまで、研究室でバッタを育てていて、フランス語の勉強を後回しにしちゃったんです。もう、とにかく現地に入れさえすれば、なんとかなるという気持ちでしたね。自分も人見知りではないほうでしたが、モーリタニアの人々は、道ゆく人がお互いに話しかける人懐こい人たちで、笑顔をつくる機会が多かったです。ちょっと分からないことがあっても、とりあえず笑顔で押し切りました」

世界的にみても、野生のサバクトビバッタの生態観察は、約40年ぶりになると前野さんは語る。活動が認められ、モーリタニアの高貴なミドルネーム「ウルド(〇〇の子孫)」を現地の上司から授かった。

現地にいってからも、なかなか出会えなかったバッタの大群。ついにまみえると、前野さんは長年の夢をかなえるべく、緑の全身タイツに着替えて仁王立ちに。本書のクライマックスだ。

「子どもの頃に、バッタの大群に女性が襲われ、緑色の服が食べられたという記事を読んで、自分もバッタに包まれてみたいと思っていたんです。今回、バッタにはスルーされましたが、なぜ私の衣装が食べられなかったのかも、ちゃんと調べています。アホかと思われるかもしれませんが、この夢を叶えるためにはバッタの食欲や飛翔、そして群れの動きを予測するための様々な研究が必要です。最終的に、私の頭の悪い夢がアフリカをバッタの食害から救うかもしれません」

評者:「週刊文春」編集部

(週刊文春 2017.07.06号 掲載)

 

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

 

 

 久しぶりにワクワクした興奮を味わわせてくれたノンフィクションでした。こうした生き物の生態を著したノンフィクション著作といえばやはり日高敏隆氏が思い浮かぶ。もちろん日高氏は昆虫学者というより動物生態学者といったほうがしっくりくると思うが。比較しても意味が無いと思うが、日高氏の著書に比べると格調の高さで圧倒的に日高氏に軍配が上がる。しかし、読んでいての臨場感であったり親しみやすさ、ユーモアの点では前野ウルド浩太郎氏が優っているといえる。とにかく面白いのだ。これは前野氏の人としての魅力がなせるわざであって、それがあるからこそ、メディアが取り上げ、ブログに注目が集まり、さらには京都大学の白眉プロジェクトに選ばれたのだろう。学者は頭の良さ(もちろん前野氏は頭が良いのだろうが)と努力だけでは無い。学者にせよビジネスマンにせよ、何にせよ大きな結果を残せるのは人としての魅力、その人の人間力がものを言う。というのも、周りの人を動かせる力、他社への影響力が状況を変えるからだ。前野氏は1980年生まれ。まだまだ若い。今後の注目株です。

 本題ではないが、前野氏がサバクトビバッタの研究に飛び込んだ国モーリタニアについて感心したことが一つある。モーリタニアが自国に十分な余裕があるわけでは無いのに隣国マリからの難民を受け入れていることについてババ所長が語った言葉がすばらしいので書き留めておく。

「我々モーリタニアの文化は、そこに困っている者がいたら手を差し伸べ、見殺しにすることはない。持っている人が持っていない人に与えるのは当たり前のことだ」

 なんとすばらしい言葉であることか。そうしたモーリタニア人が日本のことを大好きだという。我々はそのことを誇りにすべきだろう。