2018/10/07 15:00
鈴木大拙館を訪問。
次のエピソードが印象的だった。
大拙が読んでいた『尼僧物語』にさしてある栞を目にした岡村美穂子は「何か大事な点を見つけられたのでは」と思い、大拙に尋ねた。栞の箇所は、著者がカトリック修道院の修行中の体験――お皿を洗いながら、イエスキリストを念じる、ところが念じるあまり皿を落として割ってしまった――を語る場面であった。
大拙はいう、「皿を落として割っては何にもならんのだ」と。
「その一言は私にとって大変参考になったのが思い出されます。一心になることは、心が留守になることではなかったのです。「今、ここ」を離れて在るものではない。無心も執着をもって得られる境地ではない。努力すればするほど執着度が増してきて、肝心かなめの点である「自由」が失われていく、等々。・・・」
岡村美穂子『思い出の小箱から』
また本を買ってしまった。旅先で本を買えば荷物になることは判っているのに。書名を覚えておいて家に帰ってAmazonに注文すれば、居ながらにして手に入るものを・・・
人間は不条理です。