<YouTubeで落語>
『新版 落語手帖』(矢野誠一・著/講談社)に紹介された274席のうちの43席目は『景清(かげきよ)』。別の名を『入れ目の景清』。
人情味のある演目であるが、TVやラジオなどのメディアでこの噺を聴くことはできないだろう。「盲 (めくら)」の噺だからである。身体の不自由な方に配慮するのは当然のことだが、その方法としてこうした演目を根絶やしにするかのごとき行為はいかがなものか。眼が見えないことは確かに不幸であろう。しかし「盲 (めくら)」という言葉を狩ったからと言ってその不幸が世から消えて失せるものではない。人は怪我や病気と無縁ではない。必要なのはそうした病を得た人の心情を思いやり、助け合う気持ちであろう。腫れ物に触るようにすることではない。
この噺はぜひとも古今亭菊之丞師匠で聴きたい。枕で寄席の習慣として、入り口に黒板があり、たとえば足の不自由なお客様や目の不自由なお客様がお見えであればその旨を前座が書いて噺家に知らせるのだそうである。噺家はそれを読んで演目を決めるなり、噺の内容に配慮するのだそうである。こうしたゆるやかなかたちでの配慮が良いではないだろうか。
言葉に対するマスコミのヒステリックな態度を見るにつけ、日本人はいつから度量を失ってしまったのだろうかと嘆くのは私だけではないだろう。