佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『食べごしらえ おままごと』(石牟礼道子・著/中公文庫)

『食べごしらえ おままごと』(石牟礼道子・著/中公文庫)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

食べることには憂愁が伴う。猫が青草を噛んで、もどすときのように―父がつくったぶえんずし、獅子舞の口にさしだした鯛の身。土地に根ざした食と四季について、記憶を自在に行き来しながら多彩なことばでつづる豊饒のエッセイ。著者てずからの「食べごしらえ」も口絵に収録。

 

食べごしらえおままごと (中公文庫)

食べごしらえおままごと (中公文庫)

 

 

 まず巻頭のエッセイ「ぶえんずし」の書き出しに心をつかまれる。

 貧乏、ということは、気位が高い人間のことだと思いこんでいたのは、父をみて育ったからだと、わたしは思っている。

  残念ながら私は娘にこんなことを言ってもらえるほどの生き方をしていない。書き出しのこの一言で石牟礼さんが何を大切に生きていらっしゃったかが判る。石牟礼さんはそれをお父様から学ばれたのだ。

 ここに書かれているのは季節のうつろい、節気ごとに食べものと行事があるということ。そしてそれは現在進行形ではなく郷愁として語られる。それは最近の野菜のおいしくなさを憂える心の表れだろう。太陽とすこやかな土で育った野菜は滋味にあふれ、塩でゆでただけでおいしいものなのに、季節も何も関係なく機械設備で育てられた野菜は色や形こそ良いが水っぽくぶよぶよした曖昧な味しかしない。モノは豊かになってもニセモノだらけでホンモノは少ない。そのようなモノを何の疑問もなく食べ続けることによって、日本文化の根底に在ったものがいつの間にか失われてしまう。それで良いのか。良いはずはない。

 題名に使われた「おままごと」という言葉に少々違和感を覚えていたのだが、「お料理」というべきところを気恥ずかしいと照れて使われたようだ。