佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『ことり』(小川洋子・著/朝日文庫)

『ことり』(小川洋子・著/朝日文庫)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

人間の言葉は話せないけれど、小鳥のさえずりを理解する兄と、兄の言葉を唯一わかる弟。二人は支えあってひっそりと生きていく。やがて兄は亡くなり、弟は「小鳥の小父さん」と人々に呼ばれて…。慎み深い兄弟の一生を描く、優しく切ない、著者の会心作。

 

ことり (朝日文庫)

ことり (朝日文庫)

 

 

 ゲストハウスの管理人をしながら、20年近くの間、自宅近くの幼稚園の鳥小屋の掃除と鳥たちの世話を、それこそ修行僧のごとく丁寧に丁寧にしてきた身寄りの無い男の物語。男は子供達や近所の人たちから「小鳥の小父さん」と呼ばれている。しかし、子供達とも誰とも自分からは関係を持とうとしない。

 小鳥の小父さんには7才年上の兄がいた。その兄は小鳥の言葉がわかる。そして11才の頃、小鳥のさえずりに似た言葉をしゃべり始める。他の人には誰一人としてそれが言葉だとわからないが、主人公の弟にだけはその意味がわかる。兄と弟は二人と鳥たちだけの世界を共有しながら育つ。人の人生としては生きにくい境遇かもしれないが、二人の人となりからすれば、それはむしろ仕合わせであったろう。人の持つ「貪」(むさぼりの事)、「 瞋」(怒りの事)、「癡」(無知の事)、「見」(無知の為に起こる間違った見解の事)、「疑」(仏教に対する疑惑。常に自分が正しいと思い、他の意見・見解等を受け入れない事)、「慢」(おごりたかぶり)など醜い煩悩から隔離された世界で生きることができるだろうからである。常識的に社会性を持ち、その社会で活躍することが幸せだと信じて生きてきた私は、ここでふと「果たして本当にそうなのだろうか」と少々狼狽えてしまう。思いがけず己の醜さを指摘されたようで落ち着かない気分になる。

 やがて母が死に、父が死に、兄弟二人だけになる。お兄さんが30才になる前のことである。兄弟二人だけの生活を弟は家の近くにある金属加工会社のゲストハウスの管理人として働きながら支える。管理人の仕事はゲストがいつやってきても良いようにベストの状態にきちんと整えておくこと。ある日、仕事を終えた弟はお兄さんと一緒に幼稚園の鳥小屋を見に行く。お兄さんはそれからしばしばその鳥小屋に行き、長い時間をそこで過ごすようになる。それは鳥小屋のフェンスについたへこみで分かる。兄と弟の生活はできるだけ昨日と同じ日を過ごすこと。弟はそうすることで平穏な日々を守る。

 ある日、お兄さんはいつものように幼稚園の鳥小屋を見ているときに心臓麻痺で唐突な死を迎えてしまう。52才の時であった。弟は兄の死を機に、幼稚園の園長に申し出て鳥小屋の掃除をさせてもらう。鳥小屋の掃除とゲストハウスの管理。できるだけ同じ毎日を生きること、それこそ丁寧に丁寧に鳥小屋を掃除し、ゲストハウスをきちんと整える毎日は祈りの行為のようにも見える。やがて弟は皆から「小鳥の小父さん」と呼ばれるようになる。

 小鳥の小父さんは社会の中では異質なお兄さんの唯一の理解者である。いや、小鳥たちもまたお兄さんの理解者ではあるのだが。そしてお兄さんは社会に対してけっして害をなさない。ほんの少し周りの人を落ち着かない気分にするだけである。社会の片隅で、これっぽっちも自分を主張することなく、唯々ひっそりと過ごしている者。もし弟がお兄さんの言葉を分からなければ、お兄さんの存在意義はなかったことになってしまうだろう。お兄さんのように自分の存在意義などけっして主張しようとしない人の存在意義。それに気づく人がいなければ、社会からこぼれ落ちてしまうような存在。どんな偉い人でも、到達しようとしてけっして到達できない無垢な心を持った人。小鳥たちと小鳥の小父さんが居たからこそお兄さんの存在が特別になるのだ。この物語はけっして悲劇ではない。私は本書を読んで人としてのあり方を教えられた気がする。暮れには還暦を迎えようとする今、これまでの心の在りようを省みて、これからをどう生きるかを考えよう。主張せず、佳きものに寄り添うような生き方が果たして私に出来るだろうか。私のように傲慢に生きてきた者へ小川洋子さんが突きつけた問が本書であろう。

 最後に小川さんの「やさしさ」について少し書いておきたい。小川さんはお兄さんにも小鳥の小父さんにも、唐突な死を与えた。もちろんその死は悲しくもあるが、二人は小川さんに死を賜ることで救われたともいえる。世の中はその片隅でひっそりと暮らすか弱き者にしばしば過酷で在ろうとする。放っておいてくれないのだ。それが世間というものなのだが、唐突な死によってそんな世間から隔絶され、平穏をとりもどすことができる。そしてもうひとつ、小鳥の小父さんがうら若い司書の女性に出会うエピソードがせつなくも心あたたまる。小川さんは抑えた表現でそれを書いていらっしゃり、「恋」などという言葉はひと言も使っていらっしゃらないし、そう呼んで良いかどうかためらうほどあやふやで淡いものであるが、これはまさしく「恋」であろう。この司書の女性は小鳥の小父さんの特別なところ、佳き特質に気づいた人であった。お兄さんの言葉を理解する小鳥の小父さんの存在によってお兄さんの人生が特別なものになったことと同様、この女性の存在によって小鳥の小父さんの存在が特別な意味を持った。せつないことにこのエピソードは司書の女性の結婚による退職で幕を閉じるのであるが、成就した恋ほど語るに値しないものはない。小鳥の小父さんの人生に花が添えられたように感じる。心から良かったなぁと思う。

 私にとって忘れられない一冊になりました。