佐々陽太朗の日記

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『早春 その他 / 藤沢周平(著)』(文春文庫)


早春―その他

早春―その他

 藤沢周平が書く現代小説を初めて読みました。短編『早春』です。本書にはその他に時代小説短編を2編『深い霧』『野菊守り』と随想4編が収められている。時代小説2編の主人公は例によって下級武士である。藤沢氏の他の作品と同じく下級武士ゆえの悲哀が主人公を抑圧しているものの、主人公はその封建的制約の中で矜持をもち自己実現を果たす。しかし、唯一の現代小説『早春』において、主人公は最後まで孤独であり、何処までも寂寥であり報われることがない。この差は何か。
 『早春』において主人公の娘は妻子ある男との結婚を考えており、男やもめの父を一人残して家を出ようとしている。許されなくとも燃え上がる想い、仮にそれを「愛」と呼ぶならば、「愛」とはそれほど大切なものなのか。家庭を壊し、人を傷つけてまで貫き通さなければならないものなのか。自由とは全ての概念の最上位に位置づけられるべきものなのか。そのような想いが藤沢氏にはあるのではないか。であるからこそ、藤沢氏は氏の世界を時代小説の中に求めるのではないか。厳格な身分制度、階級社会、抗うことが許されない掟、そのような環境にあってなお、何とか自分の一分を立てようとする人々。決して自分だけのことを考えるのではなく、むしろ己を捨てることによって己の心を昇華させる、そのような主人公の心のあり方に対し、藤沢氏はささやかな褒美(一分の立つ結末)を与えるのではないだろうか。