佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

風魔(下) (宮本昌孝:著/祥伝社文庫)を読む

「いつもばかじゃな、小太郎は」
箱根に暮らした少女時代の氏姫からも、事あるごとにそう言われた。

氏姫は雪を浴びながら濡れ縁に立っている。息が白い。眸子(ひとみ)を潤ませている。

その姿が、振り返らずとも見える小太郎であった。

小太郎は腰に下げている姫袋を外して、紐を近くの木の枝にひっかけた。

もはや姫袋は必要ない。氏姫も小太郎も、それぞれの道を生きてゆくのだ。

木は南天である。熟した紅い実が、雪をかぶった姿は、美しく気品に盈ちている。

枝が揺れて、その実が幾つも姫袋の中に落ちた。

                                         (本文430Pより)

風魔(上) (祥伝社文庫)

風魔(上) (祥伝社文庫)

風魔(中) (祥伝社文庫)

風魔(中) (祥伝社文庫)

風魔(下) (祥伝社文庫)

風魔(下) (祥伝社文庫)





風魔(上・中・下)を読み終えました。


裏表紙の紹介文を引きます。

天下を取った家康の、唯一の気がかりは小太郎率いる風魔衆だった。折しも新開地江戸で、日本橋の大店が兇賊に蹂躙される。何者の仕業か? 徳川忍び衆総帥柳生又右衛門は、小太郎一派に相違なしと断定。ここに風魔狩りの命が下った――。勝利するのは剣の極意か、徒手空拳の技か。乱世を締め括る影の英雄たちが、箱根山塊で激突する! 迫力の時代巨編、堂々の完結。

歴史において風魔一党は後年、江戸近辺を荒らし回る盗賊に成り下がり、徳川家に捕縛され処刑されたともいわれている。しかし、宮本氏は本書において風魔衆の行く末に別の解釈を与えている。(ネタバレになるのでこれ以上は書けませんが)


政(まつりごと)、兵法においては、目的はいかなる手段を用いようとも達成せねばならない。しかし、それは武士(もののふ)の情において美しくない。歴史上に名を馳せた強者も、一片の曇りもなく美しく事を成し遂げた者は一人もいない。唯一人、常人の考え得る範囲を超越した存在として、己の心のまま自由に生きることができた男、何の衒いもなく美しくあり続けることができた男、自分の意に沿わなければ世の流れにも仕組みにも順わぬ男、そんな孤高の存在として風魔の小太郎は描かれている。