佐々陽太朗の日記

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死ぬことと見つけたり

『武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。
図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当るやうにすることは、及ばざることなり。我人、生くる方が好きなり。多分好きの方に理が付くべし。
若し図に外れて生きたらば、腰抜けなり。この境危うきなり。図に外れて死にたらば、犬死気違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。
毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり。』 (本書上巻P161より 「葉隠の一節」)

 

死ぬことと見つけたり』[上・下](隆慶一郎/著・新潮文庫)を読みました。

 

新潮社の紹介文を引きます。

(上巻)


死人ゆえに自由、死人ゆえに果敢。葉隠武士から大事に動じない生き方を学べ!

常住坐臥、死と隣合せに生きる葉隠武士たち。佐賀鍋島藩の斎藤杢之助は、「死人」として生きる典型的な「葉隠」武士である。「死人」ゆえに奔放苛烈な「いくさ人」であり、島原の乱では、莫逆の友、中野求馬と敵陣一番乗りを果たす。だが、鍋島藩天領としたい老中松平信綱は、彼らの武功を抜駆けとみなし、鍋島藩弾圧を策す。杢之助ら葉隠武士三人衆の己の威信を賭けた闘いが始まった。


(下巻)


己が奉じる志、己が恃む義に殉ずる。葉隠武士から男のロマンを問う傑作時代長編!

鍋島藩に崩壊の兆しあり。藩主勝茂が孫の光茂を嫡子としたためだ。藩内に燻る不満を抑え切るには、光茂では器量が小さすぎた。老中松平信綱は、不満分子と結び、鍋島藩解体を画策する。信綱の陰謀を未然に潰そうと暗躍する杢之助たち。勝茂は死に際し、佐賀鍋島藩存続のため信綱の弱みを掴め、と最期の望みを託した! 男の死に方を問う葉隠武士道をロマンとして甦らせた時代長編。


 

死ぬことと見つけたり(上)

死ぬことと見つけたり(上)

 

 

 

死ぬことと見つけたり(下)

死ぬことと見つけたり(下)

 

 

 

 

どのような卑怯をも決して許さぬ社会、武士が武士たり得た社会、命など己が名誉に比ぶれば何の価値も持たなかった社会がかつてあった。江戸時代、佐賀鍋島藩である。佐賀鍋島藩の浪人、斎藤杢之助がこの物語の主人公である。

葉隠において「常住死身」(じょうじゅう・しにみ)という言葉は重要な概念である。いつでも死んでみせるという覚悟、それはたとえその死が犬死であっても構わないということともとれる。しかし、考えてみると犬死という言葉には価値観が含まれている。無駄な死、死に損という損得勘定、謂わば計算がそこにはある。しかし、葉隠のいう「常住死身」とはいざというときに死んでみせるという覚悟ではなくて、いつだって死んでいるという覚悟をさしている。すでに死人(しびと)であるのだから、その死に意味など必要ないのである。犬死にであろうが、甲斐ある死であろうが、その時がくれば死ぬのである。であるから、死ぬかも知れない状況であっても行動をためらわない。つまり、どう行動すべきかを選択する要素は、生死に非ず、損得に非ず、そうすることが正しいかどうかなのだ。「常に己の生死にかかわらず正しい決断をせよ」、これがこの物語の主人公・斎藤杢之助の行動原理である。この純粋な基本概念が杢之助の原点であり到達点でもある。

葉隠にはもうひとつ「忍恋」という概念がある。簡単にいってしまえば永遠の片思いである。相手にこちらの恋心を悟らせず、相手に恋心の負担を感じさせないという恋こそが究極だというのである。主人公・杢之助は「常住死身」であることを会得した「死人」であるから、一切の事象に動ずることは無いが、そんな杢之助が唯一動じたのが想いを寄せる愛殿が家に来たときだけというのが何とも良い。

 

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余談であるが「常住死身」という概念を想い、昨今の世相を見たとき、このようなことでよいのかと思うことが多い。たとえば、尖閣諸島での中国船の傍若無人な振る舞いに対する現政権の対応を見ると、政権を担当するだけの覚悟のかけらも見えない。ひたすら安寧を求めるのみで、どうあることが正しいのかなど後回しになっていると見える。おそらく現政権は国益を考えた対応であったと言うのだろうが、国益とはいったい何なのであろうか。国として基本原理を持たず、ひたすら損得と計算で動こうとするから右往左往する。辱めをうけても怒ることも出来ない。情けないことである。

誤解無きようことわっておくが、葉隠の思想が封建制あるいは軍国主義と結びつくとして忌避する向きがあるが、本書は決してそのような浅い考えで書かれてはいない。隆慶一郎氏は学徒動員で中国戦線に送られるとき、当時の危険書とみなされていたランボオの『地獄の季節』をひそかに『葉隠』のあいだにひそませて持っていったそうである。つまり、隆氏は戦時中に蔓延っていた浅薄な死生観を賛美するような人ではありません。隆氏は決して命を粗末にするのではなく、美しく誇り高く生きることを尊んでいるのだと私は理解しました。

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