佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

ダナエ

わが思惟するものは何ぞや
すでに人生の虚妄に疲れて
今も尚家畜の如くに飢えたるかな。

我れは何物をも喪失せず
また一切を失ひ尽せり。

  萩原朔太郎 『氷島 -乃木坂倶楽部-』より抜粋

 

『ダナエ』(藤原伊織/著・文春文庫)を読みました。

 

ダナエ (文春文庫)

ダナエ (文春文庫)

 

 

裏表紙の紹介文を引きます。


世界的な評価を得た画家・宇佐美の個展で、財界の大物である義父を描いた肖像画が、切り裂かれ硫酸をかけられるという事件が起きた。犯人はどうやら少女で、「これは予行演習だ」と告げる。宇佐美の妻は、娘を前夫のもとに残していた。彼女が犯人なのか―。著者の代表作といえる傑作中篇など全3篇収録。 


 収められているのは「ダナエ」「まぼろしの虹」「水母(くらげ)」の中篇3篇。

 我が敬愛する伊織さん、もう亡くなってから3年以上になる。冒頭の引用は「ダナエ」の作中に出てくる萩原朔太郎の詩です。

 ダナエとはギリシャ神話に登場するアルゴス王女。父である王はアクリシオス。ダナエは美しい娘で諸国から結婚の申し込みが殺到するほどであった。王には世継ぎの男の子が生まれないので、神託を受けたところ「息子を授かることはないが、ダナエが男の子を産む。その子にお前は殺されることになるであろう」というもの。驚いた王はダナエを青銅の塔に閉じこめ、誰も近づけないようにした。しかし美しきダナエに心惹かれたゼウスが我が身を黄金の雨に変え、青銅の塔に入りこみダナエと結ばれる。ダナエはゼウスの子と宿し、やがて男の子を産む。この子が英雄ペルセウスである。王は我が身がかわいいものの、さすがに娘と孫を手にかけることをためらい、二人を木箱に閉じこめて海に流してしまいます。ところが二人は遠くの島に流れ着き、漁師に助けられ一命を取り留める。ペルセウスはたくましい男に成長し、メドゥサ退治など数々の武勲をあげ、英雄として生まれ故郷アルゴスに凱旋する。ペルセウスは或る競技会で円盤投げに出場し、彼が投げた円盤はフィールドをはるかに越え観客席にいた父アクリシオスにあたって、アクリシオスは死んでしまう。アクリシオスがどんなに予言を覆そうとしても、運命には逆らえなかったという神話がある。

 そのダナエを巨匠レンブラントが描いた神話画がエルミタージュ美術館(サンクト・ペテルブルク)にあるが、1985年に硫酸がかけられるという事件があった。それを髣髴させる事件が起こった。どうやら事件の背景には主人公、宇佐見の過去が関係しているのではないか。今は世界的な画家として成功している宇佐見にも無名不遇の時代があり、その頃、心から愛し一緒に生活していた女性がいた。その女性との悲恋。成功した今も宇佐見の心の中にある埋めることの出来ない喪失感。物語はその謎を追うミステリー仕立てになっている。

 主人公の宇佐見は萩原朔太郎の詩の一節に象徴される「何物をも喪失せず、同時に一切を失ってしまった男」として描かれている。人もうらやむ成功を収めた今も、過去を引きずりどこか世捨て人のような生き方しかできない男。伊織さんは溢れんばかりのロマンティシズムとリリシズムをもって描ききっています。主人公の想いに思わず涙してしまったほどです。

 こうした男のリリシズムは、この本に収められている「水母(くらげ)」の主人公にも共通しています。昼日中から酒場の椅子に腰掛け酒を飲んでいる男、酒を愛し、博打を愛し、考え方は堅苦しく礼儀正しいくせに放蕩を愛する男、仕事にはけっして妥協しないくせに私生活には逸脱を愛する男。自堕落に見えても矜持だけは持ち続けている男。直木賞を受賞した伊織さんの名作『テロリストのパラソル』の主人公であったアル中のバーテンダー・島村もそうでしたが、とにかく切ないほどにカッコイイのです。

 この本を読み終えて、伊織さんの作品で読んでいないのはおそらくもう一作のみになってしまった。『名残り火・てのひらの闇<2>』です。早く読みたい気持ちといつまでも未読でおきたい気持ちがせめぎ合っています。その一作を読んでしまえば、その時が伊織さんとのお別れになってしまうのだから……