佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

遠野物語

遠野物語』(森山大道/著・光文社文庫)を読みました。というか三分の二は写真ですから、三分の二は見ましたといった方がよいでしょう。「ブレ・ボケ・アレ」といわれる前衛的写真の大家として名前は存じていましたが、特に信奉者であったわけではありません。ただ、カレーを食べにはいった喫茶店でちょっと手に取り読んでみた雑誌に『森山大道 路上スナップのススメ』という新書のレビューがでていて、「中途半端なコンセプトは棄てて、とにかく撮れ!」と言う言葉がキャッチ・コピー的に使われていたのに惹かれてその本とともに作品集も買ってみた次第。作品集が単行本でなく文庫で出ているのも意外でした。作品集はもう一つ『犬の記憶』も買いました。三冊の中で、まず『遠野物語』を読み始めたのは、氏の写真を予備知識的に見たうえでスナップ写真の方法論にはいった方がより分かりやすいのではないかと考えたのです。

裏表紙の紹介文を引きます。


 写真表現の新たな地平を切り拓きつづける尖鋭的フォトグラファー・森山大道。’70年代の只中、柳田国男の古典に触発された彼は、岩手県遠野へ向かった。なにかに憑かれたようにシャッターを切る。そこに写されたのは、日本人が忘却した記憶と失われた原風景だった。初収録の作品を多数加えて再編集。フォト・エッセイ集の記念碑的名作が、21世紀の今、文庫版で登場。


ちょっと偉そうな言い方になりますが写真は予想以上にアバンギャルドです。私に写真のなんたるかが分かるわけではありません。素人目に見てとてもプロの作品とは思えないのです。「ブレ・ボケ・アレ」が特徴とされるのもむべなるかなと妙に納得しました。カリスマ的な写真家のフォトエッセイ集だと認識して写真を見ているからこそ、写真の中に何かがあるような気がするのですが、本ではなく、誰の撮ったものか知らされない状態で、一葉の写真を見せられたとしたらまず間違いなく素人写真と判断したでしょう。「ヘタクソ」だと思ったかも知れません。もちろんそれは私に見る目がないからでしょう。しかし、それほど氏はプロの写真として想像を超えたというか外れた存在でありそうです。ことほど左様に私は氏の写真の良さを理解できませんでしたが、一方で氏がエッセイで仰りたかったことは少し分かったつもりです。たとえば、「写真はそもそも現実の複写にすぎないのだから、それに何らかのコンセプトやテーマらしきものを求めても意味がない。ましてや半端な思想など」という、氏の写真に対する姿勢が本書で氏が語った次の言葉に表れています。

曰く

「『遠野物語』の世界を写真でイラストレートしようとするのならば、そのへんはどうにでもなるわけですが、むろんそんなことにはなんの意味も興味もありませんしね」(本書189P)

「僕が何かを探しながら撮るっていうよりも、ぞくぞくとさまざまなものが向こうから立ち現れてくるって感じだった」(本書192P)