佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

日本を讒する人々

水面に浮かぶ優雅な白鳥は、しかし見えない水中で必死に足を掻いている。

これはよく”陰の努力”の大切さを説くときに使われる話ですが、

自分がどのように生きたらみっともなくないか、

ということを現代の若い日本人にはもう少し考えてほしい。

努力もせずに弱者や被害者のふりをして楽をしよう、得をしようとするのは美しくない。

見苦しいことである、と。

義務と権利は貼り合わせの関係です。

義務の側から「いち抜け」するのではなく、それを支える側に回ることの矜持をもって欲しい。

社会も支える側に回る人間を育て、評価する価値観を大切にしなければ、

ほんとうに日本という国はこの先長く持たないでしょう。

                           (本書276Pより引用)

『日本を讒する人々』(渡辺昇一・金美齢八木秀次/著・PHP研究所)を読み終えました。

もとい。『日本を讒する人々』をアテに「黒牛・碧山」を飲みました・・・・? (^^;)


タイトルにある「讒(ざん)する」とは「事実を曲げて人を悪く言い、人を貶める」という意味だそうです。

渡辺昇一氏、金美齢氏、八木秀次氏のお三方が鼎談で日本を讒する人を名指しで指弾します。

私は三氏が本書の中で事実として語っておられることの当否をつぶさに検証する手段を持ちません。

しかし、これまでテレビ、雑誌などで三氏の仰ることを聴いてきた経験から、

このお三方が邪(よこしま)な人でないことは判っているつもりです。

加えて、本書に書かれていることの基本的なところ、謂わば根底に流れる考え方は全く当を得ていると思います。

従って、世の論争にありがちな対立する考えの持ち主に対する揚げ足取り的な議論も少しはあるかという危惧を持つものの、

本書に滔々と述べられた三氏の論旨に概ね賛同するものです。

とりわけ、三氏の基本的な考え方には何ら疑問をはさむ余地はなく、きわめて真っ当なものだと考えます。

PHP研究所のHPにある本書の紹介文を引きます。

平成21年8月30日の衆議院議員選挙の結果、ついに、自民党に代わって民主党が政権の座に就いた。「政権交代可能な二大政党」による政権交代が行われたわけだが、そもそも「政権交替可能」であるためには、国家の基本に関わる問題については両政党の有する価値観に質的差異があってはならない。だが、非公式な場における党幹部の発言、そしてマニフェストの原案となる『民主党政策集』の中身などを知れば、それを知らずに(マスコミによって知らされずに)民主党に投票した有権者は驚愕し、後悔するのではないか。
 政治家のみならず、日本の知識人、マスコミ人のなかには、日本の歴史に対する愛情も理解もないがゆえに、日本を讒する――事実を曲げて祖国を罵り、その名誉を侵害する――人々が少なくない。また、「現実主義」を唱えて何も現実を変えないことの言い訳としている“人士”も散見される。それらの妄言の主を、具体的な根拠を挙げつつ実名で指弾。

私は民主党の理念や政策が全く駄目だとは思っていません。

ただ、民主党は本書で問題として取り上げている部分についてはやはり未熟だと思いますし、

もっと勉強され考えを修正されるべきだと思います。

いや、民主党がというより、戦後レジームのなかで戦前・戦中の日本を否定しただ妄信的に悪と決めつけて疑わなかった我々戦後世代こそが、

もっと史実を勉強し、一部の国家やマスコミによって意図的に歪めて伝えられる歴史に惑わされることなく、

正しい歴史認識を持つべきなのだろう。

書中、心に残ったところを抜き書き記録しておきましょう。

  • 「自国の戦死者を、威儀を正して最高の儀礼を以て追悼することを禁じられた国民が、この地上のどこにあったろうか。国人よ、誰に謝罪するより前にそのことを嘆け。そして、決して屈するな」(故・江藤淳氏の言葉)
  • 「人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。(中略)私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである」(田母神俊雄航空幕僚長の論文より)
  • 国会決議の文言から正当なる国家意志の表明を削ってしまうような、観念的平和主義によって自らの手足を縛るような自己欺瞞からは脱しなければならない。ミサイルを「飛翔体」などと言い換えることに何の意味があるのか。ミサイルを「飛翔体」と言い換えれば、その脅威なり危険性なりが軽減するのか。ミサイルを「飛翔体」と言い換えてはばからない感覚というのは、それを本気で脅威とは感じていないからです。アメリカの核の傘に守られているという幻想に浸ったまま、戦後この方本気で日本の防衛を考えたことがないとすれば、あの空騒ぎと弛緩の数日もむべなるかなであり、所詮他人事なのです。多数の自国民を拉致され殺害されても、生存者を奪還できず、正式な謝罪すら得られないとすれば、そんな国を一体誰が本気で守ろうとするか。またそんな国の若者に、本当の志や心意気、倫理や道徳といったものが育つはずもない」(『正論』平成21年6月号「『本気』を忘れた日本人」石原慎太郎氏の言葉)
  • 金持ちを怨嗟の的にしてはいけないのです。資産の形成に当たって不正の有無を問題にするのはいい。法治国家であれば当然です。しかし、努力やアイデアによって金持ちになった人に対し、他の人々が自らの地位と引き比べて嫉妬したり過剰な負担を求めたりするのは、社会全体の活力や公平性を損なうものだということを自戒する必要があります。(中略)戦前から昭和四十年代の初めくらいまでは、貧しくとも他人の施しは受けたくないという感覚が日本人の間に強くあったと思います。(渡辺昇一氏)
  • セーフティーネットというのは、奮闘努力むなしく一時苦境に陥った人を救うための措置であって、初めからそれを当てにしている人たちのものではありません。

うーん、なかなか考えさせられます。

一度、田母神氏の講演を聴いてみたいなぁ・・・・

シビリアンコントロールを無視したなどと酷評され更迭された氏であるが、話を聴くとまともなのじゃないか?