我らの世代は、お互いが慈しみ、支え合い、ハーモニーを奏でるのがオトナだと教えられて育ってきたから。
<list:item>
<i: 汝の隣人を愛せ>
<i: 右の頬を打たれたら左を出せ>
</list>
そういう人間になるのがオトナになることだって、わたしたちは教えられてきた。あの<大災禍>(ザ・メイルストロム)を経験した後では、人類は東から西に至るまで、そう変貌せざるを得なかったから。
<list:item>
<i: 自由>
<i: 博愛>
<i: 平等>
</list>
ミャハはそんな社会を憎悪していた。
(本書P21より抜粋)
『ハーモニー』(伊藤計劃/著・ハヤカワ文庫JA)を読みました。
伊藤計劃とは何者か? 私が思うにおそらくゼロ年代におけるSF作家の頂点に位置する作家だろう。2007年に小説デビューし、そのわずか二年後に夭折してしまった天才作家。享年34歳であった。その短い生涯に遺した長編小説はたったの3作のみ。
- 虐殺器官 Genocidal Organ (早川書房 ハヤカワSFシリーズ Jコレクション 2007年) ISBN 9784152088314
ハヤカワ文庫 2010年2月 ISBN 9784150309848 - METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTS (角川グループパブリッシング 2008年) ISBN 9784047072442
角川文庫 2010年3月 ISBN 9784043943449
ゲームメタルギアソリッド4のノベライズ作品 - ハーモニー <harmony/> (早川書房 ハヤカワSFシリーズ Jコレクション 2008年) ISBN 9784152089922
ハヤカワ文庫 2010年12月 ISBN 9784150310196
ただし『METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTS』については同名ゲームのノベライズということで、正確には小説といって良いかどうか若干の疑問は残る。私は未だ読んでいないので何ともいえないが、多くの書評によると単なる人気ゲームのノベライズという域を超えているらしい。読んでみるべきかもしれない。
『虐殺器官』については私は今年の2月11日に読み、読後感などこちらに書かせていただいた。
http://hyocom.jp/blog/blog.php?key=156645
さて『ハーモニー』である。これが伊藤計劃氏の遺作だ。第30回日本SF大賞受賞、「ベストSF2009」第1位、第40回星雲賞日本長編部門受賞作にして、日本人作家初の「フィリップ・K・ディック賞・特別賞」受賞作。
まずは裏表紙の紹介文を引用する。
21世紀後半、「大災禍」と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア”。そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した―それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰にただひとり死んだはずの少女の影を見る―『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。
『虐殺器官』と同様、近未来の徹底した管理社会を小説の舞台としている。そしてお約束どおりというか、当然のことながらその近未来管理社会は病んでいる。誰も死なない(死ねない)究極の健康社会という病んだ社会。窒息しそうなほど優しい空気に溢れた社会。このような異常な社会を物語に現出させた本書はその病み方ゆえ、「フィリップ・K・ディック賞・特別賞」受賞という日本人SF作家初の快挙を成し遂げたのは当然のことといえる。SFには「病んでいる」というテイストが必要だ。そういう私自身も病んでいる。思い起こせば17歳の頃、フィリップ・K・ディック氏の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んだのが病みはじめだったような気がする。かつて「病んでいいない人間にはSFを読む資格がない」と言ったのは誰だったか。健康なんてクソ喰らえだ。
話を元に戻そう。全ての人々がただひとつの絶対的な価値観(=生命至上主義)を共有する社会。人類は悩み、苦痛、病気、事故から隔絶され、互いに協調しあい、他人を思いやり、誰と争うこともない。そんな(究極の健康社会という)極めて病んだ社会で自殺することを企てた三人の少女の物語。社会は優しさに溢れ、誰も死なない(死ねない)社会にあって、その優しさが、その気遣いが少女たちをじわじわと窒息死させようとしている。まさに人類があらゆる災禍を克服して手にしたユートピアが臨界点を迎えたとき、人類は何を獲得し何を失うのか。この小説にはそうしたことが書かれている。
伊藤計劃氏の小説を読むと様々な想念がわき起こる。疑問が頭のあちこちに降ってくる。いったい何が正しいのか、どうあるべきなのか、その前にそもそも私はどうあって欲しいのかと思考がどんどん深化しては変節する。あるいは迷う。いや解らなくなるといった方がよいのかもしれない。
伊藤氏の小説はそれこそ絶賛、酷評とり混ぜて評価は様々だろうと思う。それは伊藤計劃氏が並外れた異才であることの証しだと思う。伊藤氏の夭折を心から悼む。