佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

魔女の1ダース

「日本ではスープのだしを何でとるのか」
 とイタリア人コックに尋ねられ、
「カツオという名の魚の乾物で」
 と答えると、一瞬聞き手一同の怪訝な表情と沈黙があった。続いて、連中はドッと笑いころげ、何人かは立っていられなくなってへたり込んでしまうほどの喜びようだったという。「カツオ」は男根を意味するイタリア語の響きに限りなく近いためである。

                                             (本書P90より) 

 

 『魔女の1ダース ~正義と常識に冷や水を浴びせる13章~』(米原万里/著・新潮文庫)を読みました。

 

 

裏表紙の紹介文を引きます。


私たちの常識では1ダースといえば12。ところが、魔女の世界では「13」が1ダースなんだそうな。そう、この広い世界には、あなたの常識を超えた別の常識がまだまだあるんです。異文化間の橋渡し役、通訳をなりわいとする米原女史が、そんな超・常識の世界への水先案内をつとめるのがこの本です。大笑いしつつ読むうちに、言葉や文化というものの不思議さ、奥深さがよーくわかりますよ。


 

 私が読んだ米原さんのご本は二冊目。一冊目は『不実な美女か 貞淑な醜女(ブス)か』(新潮文庫)でした。二〇〇九年一一月のことです。

 

http://hyocom.jp/blog/blog.php?key=109654

 

 その時に私が米原さんに抱いたイメージはとても頭の良い方だなあということ。異言語、異文化の人間の間に立ち、同時通訳するという仕事柄故のことであろう。同時通訳は一方の言うことを正確に理解し、それを即座に別の言語に置き換えもう一方に伝えるという作業。相手が自分の考えを整理しきれず喋っていることもあるだろう。通訳はそれを自分の頭の中で整理し、もう一方の相手が理解しやすいように論理的に組み立てなおし伝えているはずだ。しかもその作業は瞬時に行われる必要がある。つまり米原さんには、相手の言うことを理解するだけの博識と相手の意図を察知する洞察力、どう伝えればもう一方の相手が理解しやすいだろうと思いやる想像力が兼ね備わっている
のである。
 もう一つ。米原さんのエッセイには結構下ネタ(あるいはスカトロ・ネタ)が登場する。こうしたネタが一種の興味と笑いを持って語られるのは世界共通の価値観であって、おそらく米原さんが出会われた様々な分野でのエキスパートとの会話の中で語られたジョークなどがそのベースになっているのだろう。米原さんのエッセイが時にそうした下ネタを扱いながらもけっして下品にならないのは彼女が持つ知性と気品ゆえのことであろう。