佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

嘘つきアーニャの真っ赤な真実

「…………」

「どうしたの、マリ?」

「『黃巾の乱』や『赤眉の乱』て、中国史で習ったじゃない、あれ思い出しちゃった」

「何でまた?」

「うん、何となく」

 圧政と不公正に抗して貧民たちを結集して権力を打倒した反乱者たちが、権力の座に着いたとたんに、以前の権力者と寸分違わぬことを繰り返す。だから、いくら反乱があっても、なかなか社会の仕組みそのものは変わらないのであった、というような教科書の記述を思い出したのだが、アーニャには面と向かって言う気が失せていた。

                                    (本書P101より)

 

 

嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(米原万里・著/角川文庫)を読みました。

 

まずは裏表紙の紹介文を引きます。


1960年プラハ。マリ(著者)はソビエト学校で個性的な友達と先生に囲まれ刺激的な毎日を過ごしていた。30年後、東欧の激動で音信の途絶えた3人の親友を捜し当てたマリは、少女時代には知り得なかった真実に出会う! 大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。


 

 

 生まれてこの方、日本に住んできた私はなんとボーッとして暮らしてきたのか。この本を読んでそのことを思い知らされました。理論としては理想であっても、そこに人が介在すれば矛盾だらけの欺瞞に満ちた社会が現出する。何故なら社会は理論で解き明かせるほど単純ではないのだから。それに人間は不完全で、欲深く、自分勝手で、嘘つきな生き物だから、そんな人間の振る舞いの所産たる社会に美しい秩序など求むべくもないのだ。しかしそうであっても人は赦し、人と繋がり、未来を夢見る。それこそ人間の美質と言うべきか。

 米原万里さんは元日本共産党常任幹部会委員・衆議院議員米原昶(よねはら いたる)氏の娘である。1959年小学校3年生のときに、昶氏が各国共産党の理論情報誌『平和と社会主義の諸問題』編集委員に選任され、編集局のあるチェコスロバキアの首都プラハに赴任することとなり、9歳から14歳までの5年間、プラハにある共産党幹部子弟専用のソビエト学校に通った。本書はその学友のリッツァ、アーニャ、ヤスミンカとの想い出とそれぞれの友人が長じて、激動の東欧でどのような人生を送ったかを、米原さんが友人を捜し当て再会することでさぐりあてるという実話に基づいて記されたものである。

 それにしても、共産圏にあって共産党幹部がいかに特権的な生活を享受しているかをうすうす知っていたとはいえ、本書でその実態をまざまざと見た思いである。私など、チャウシェスクが革命によってとらえられ死刑に処された後、ルーマニア民主化したと単純に思いこんでいたおめでたい人間である。チャウシェスク政権転覆後も労働者党の幹部が相変わらず特権を享受し続けていて、市場経済の流れに乗っかって甘い汁を吸い続けているとは……。自らの不明を恥じる。