佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

驟り雨 (はしりあめ)

 ふきのような娘にも、ゆっくりやすめる場所というものがいるのだ。そうでなくて、うろうろと臀に矢をあてられたり、飯も喰わずに夜、外にほうり出されたりして生きていなければならないとしたら、やりきれねえじゃねえか。

 信助がそう思うのは、ふきが頭ののろさのために、そのやりきれなさを、おそらく人の半分も感じ取れずに、おろおろと生きているように見えるからだった。

 ―――夕方までゆっくりやすませてやろう。

                             (本書P255「捨てた女」より)

 

 

 『驟り雨 』(藤沢周平・著/新潮文庫)をよみました。

 珠玉の短篇が十篇おさめられています。いちばん好きなのは「泣かない女」です。先日読んだ短編集「初つばめ」にも収められた秀作です。足が悪く器量も十人並みであるが故に別れ話を切り出されたお才。「いつかこんなふうな日が来ると思っていた」とあっさりと別れ話を受け入れる。哀れみで一緒に暮らしてもらおうとは思わないとばかり、さらりと別れ話を受け入れる。そんなお才が意を翻して追いかけてきた亭主を前にして、堪えきれなくなりうずくまって泣く場面に思わず涙を誘われる。もう一つ「捨てた女」に出てくるふきもハンデキャップをかかえた弱い女だ。のろまで少々鈍いのだ。ふきは自分でもそのことを知っている。信助はそんなふきが気になってしかたがない。矢場で働くふきは、矢を拾っているときに客から臀に矢をあてられからかわれる。信助はそうしたことがかんに障る。ふきがそんなふうに扱われることがやりきれないのだ。ふきが夜、雇い主から飯も喰わされないままほうり出されたのを知り、信助は家で休ませてやる。そのことをきっかけにふきは信助と一緒に暮らし始めた。「ここに、いつまでいていいの?」というふきの言葉が切ない。

 江戸という時代にあって、女は自分一人で生きていくことはむずかしい。女の幸せは男次第といった時代だ。ハンデキャップを抱えている女であればなおさら男にたよらなければ生きてはゆけまい。藤沢氏が描く女は、そうした境遇のなかで、己の弱さを知り、その弱さ故に自分が捨てられてもしかたがないと思っている。そうした女にも優しくしてくれる男がいる。あるいはそれは憐憫の情かもしれない。しかし決してそれだけではない。男は弱くとも日々をつましく生きる女の心根に美しさを見つけ、その危うい美しさを慈しむのだ。人の価値は、人の魅力はスペックで決まるものではない。藤沢氏はそうした弱い者へ、しみじみと優しい視線をそそぐ。やはり藤沢はイイ。