佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

にこにこ貧乏

「学校にきなさい」
 きっぱりとした口調だが、ぬくもりが感ぜられた。
「眠たくなったら、机に顔をつけて寝ていいわ。だれにも文句は言わせない。学校を簡単に休む、わるいくせをつけてはだめです」
 当時の先生は二十五才。姉という存在に憧れていたわたしは、先生の言葉に姉の優しさを思い描いた。
 カンカンカン……。
 思春期のたわいもない想いは、鳴り始めた小田急線の踏切の音で閉じられた。
「明日からは休みません」
                             (本書P71・「梅雨と雪」より)


 

 

 本を一冊読み切った翌朝、出かけ間際に「さて、今日は何を読むか」と本棚の積読本を眺めるのは楽しい。先日読んだ有川浩さんのほっと文庫『ゆず、香る』が高知県の馬路村にちなんだ短篇だったので、高知県繋がりでひらめいたのか山本一力氏の『にこにこ貧乏』(山本一力・著/文春文庫)に手が伸びた。
 私は山本一力氏の書かれたご本が大好きだ。直木賞受賞作の『あかね雲』こそ未読だが、『いっぽん桜』や『銀しゃり』など過去に読んだ本は十冊を下らない。
 さて、本書『にこにこ貧乏』ですが、氏が週刊文春に連載されたエッセイを文庫化されたものです。氏のご家族の話、旅先の話など、日常の雑感が微笑ましくも味わい深く書かれています。タイトルの『にこにこ貧乏』は氏が中学生の頃、高知県から東京に引っ越し、貧しい中、新聞配達をしながら学校に通われた生い立ちにちなむものかと想像する。貧しかったけれど、なつかしく思いだす、それこそ良い想い出をたくさんお持ちのようだ。興味深いお話ばかりだが、冒頭に引用した「梅雨と雪」が秀逸だ。高知県から東京の中学校に転校して間もなく、山本氏は新聞配達をするため四時に起きて仕事をしており、東京の学校になじめないこともあり学校に行かなくなってしまった頃の想い出が書かれている。ある雨の日の夕方、担任の女の先生が配達から帰ってきた山本氏を待ち受けていて、「学校にきなさい。わるいくせをつけてはだめ」と心から云ってくれた話。しみじみと良いお話でした。私は山本氏の魅力は「人の真心に対しては心意気で応える」といった気概があるところではないかと思っています。それは山本氏の生きていく上での基本的な姿勢のようにも思えますし、山本氏が昵懇にする人の生き方でもあるようです。本書に頻繁に出てくる大阪天5の『青空書房』のご主人と奥様もそんな方のようです。近く『青空書房』を是非とも訪ねてみたい。


裏表紙の紹介文を引きます。


名曲「天城越え」の日本語の力に圧倒され、息子の大怪我で福祉の有難さを知る。上京して初めて食べた思い出の十円鮨、築地魚河岸場内の極上トースト、富山の超特大オムライス…取材に講演旅行に日本中を駆け巡る人気時代小説家が出会った、旨いものと人情、カミさんと息子たちとの大騒ぎな日常を本音で綴る爽快エッセイ集。