佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『ビブリア古書堂の事件手帖~栞子さんと奇妙な客人たち~』(三上延・著/メディアワークス文庫)

「でもよ、誰かに話すだけでも気が楽になるってこともあるぜ……ほら、『落穂拾ひ』にもあったろう。『なにかの役に立つということを抜きにして、僕達がお互ひに必要とし合ふ間柄になれたら、どんなにいゝことだらう』ってな。甘ったるいけど、胸に染みる言葉じゃねえか? 胸にたまってることがあるなら、俺はなんでも聞くぜ」


(本書第二話 小山清「落穂拾ひ・聖アンデルセン」(新潮文庫) より引用)

 

ビブリア古書堂の事件手帖~栞子さんと奇妙な客人たち~』(三上延・著/メディアワークス文庫)を読みました。

 

 

 

まずは裏表紙の紹介文を引きます。


鎌倉の片隅でひっそりと営業をしている古本屋「ビブリア古書堂」。そこの店主は古本屋のイメージに合わない若くきれいな女性だ。残念なのは、初対面の人間とは口もきけない人見知り。接客業を営む者として心配になる女性だった。だが、古書の知識は並大低ではない。人に対してと真逆に、本には人一倍の情熱を燃やす彼女のもとには、いわくつきの古書が持ち込まれることも、彼女は古書にまつわる謎と秘密を、まるで見てきたかのように解き明かしていく。これは“古書と秘密”の物語。



仮に特定の人種だけを選んで殺すことができる細菌兵器があるとすれば、それは極めて優秀というか強力な兵器となり得ましょう。本書は正にその細菌兵器です。細菌の名はビブリオ菌。(ビフィズス菌ではありません) ターゲットとなる人種とは書痴。言い換えればビブリオマニア、愛書家、書狂などなど、要は「本好き」の域を超えて「本を溺愛してしまった人」、本ヲタクであります。そうしたビブリオマニアが本書を読み始めるやいなや、仕事であれ、勉強であれ、創作であれ、何らかの価値ある活動の一切は放棄され、ひたすらこの物語を読み続けることになる。まさに書痴にとってのリーサル・ウェポンが本書です。そして本書を読んでしまった書痴がたまたま男であった場合、たちまちのうちにヒロイン篠川栞子に恋してしまうに違いない。現に本書を読み終えた私の顔は熱くのぼせている。

 

以上が簡単な読後感だが、本好きの私としてはもう少し雑感を記しておきたい。

 

(本書に出てきた実在する古書について)
作中にでてくる古書は実在のものです。そして、その書名が各章のタイトルになっています。

  第1章 夏目漱石漱石全集・新書版』(岩波書店
  第2章 小山清『落穂拾ひ・聖アンデルセン』(新潮文庫
  第3章 ヴィノグラードフ・クジミン『論理学入門』(青木文庫)
  第4章 太宰治『晩年』(砂子屋書房

『落穂拾ひ・聖アンデルセン』を読みたいと思いamazonを検索してみた。絶版になっているのでもちろん新品はない。古書として出品してあるのは2冊。さすがはamazonだ。古書を扱う個人や店からの出品がかなり集まるサイトとなっている。値段は13000円と13280円。ビブリア古書堂で取り上げられて品薄になったのかもしれない。それにしても高い。が、しかし13000円を払っても古書を買うかどうか、真剣に悩み始めた自分が怖い。

 

(ヒロイン・篠川栞子さんについて)
書痴の男の夢に出てくる理想の女性とはこのような女性に違いない。いや、書痴でなくとも充分に魅力的な女性である。色白で華奢な印象を受ける体つき(しかし巨乳……直截な表現だが作中でそう書いてあるのでそのままの表現とさせていただきます)、ロングヘア、ハッとするほど可愛い顔に綺麗な瞳(本を読む時はその瞳に眼鏡がかかる)なのです。ただし、私に関して云えば別に大きな胸である必要はない、つまり皆が皆、同じ理想像を持っている訳ではないのだが……、あ、でも、胸の大きいのも悪くはないし……。人と話をする時、おどおどしてしまってうまくしゃべれないが、ひとたびそれが本に関することとなれば、論旨明快、言葉にも力がこもり、流暢にしゃべり始めるという特異なキャラ。意外なことに、大切な本を守るためには主人公・大輔に危険を冒させてもという剛胆なところも持っている。しかし、そのことを気に病み、ろくに本も読めない状態(「普通は飯も喉を通らない状態」だろうがっ!)になるという可愛いところもあるのだ。あぁ、もう、惚れてまうやろっ! ってか、私は小説に出てくる女性に惚れ込んでしまうクセがある。過去、作中の女性に惚れた経験は枚挙にいとまがない。例えば、イヴァノヴィッチが描くステファニー・プラム、キース・ピータースンの描くランシング、夏川草介氏が『神様のカルテ』の中で描く栗原榛名、森見登美彦氏が『夜は短し歩けよ乙女』の中で描く黒髪の乙女などなど。本書の篠川栞子さんはその中でもトップクラスにランクインしてしまった。

 

(古書をあつかった名著について)
古書をあつかった本には名著が多い。私の大好きな小説は『死の蔵書』をはじめとしたクリフォード・ジェーンウェイもの(著者はジョン・ダニング)、カルロス・ルイス・サフォン著・『風の影』、梶山季之著・『せどり男爵数奇譚』だ。本書の中には『せどり男爵数奇譚』の主人公・笠井菊哉を名乗る男が登場する。こうしたあたりも本ヲタを喜ばせる仕掛けである。

http://hyocom.jp/blog/blog.php?key=76253

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新潮文庫のスピンについて)
本書には古書にまつわるトリビアがちりばめられている。こうしたことも本ヲタの心をくすぐる。中でも文庫のスピン(栞紐のこと)が謎解きのキーになっているあたりに、著者のこだわりを感じる。昔はほとんどの文庫本に着いていたスピン。ハードカバーの本には着いているが、今では文庫本で着いているのは唯一「新潮文庫」のみとなっている。私は臙脂色のスピンに新潮文庫の本に対する愛情を感じるし、新潮文庫の心意気に心からの拍手を送るものである。


メディアワークス文庫について)
もともと「電撃文庫」として娯楽小説路線を歩んできただけあって、エンタメ度抜群でとにかく楽しめる本が多い。軽く読めて楽しめるいわゆるライトノベルとして、文芸作品の一段下に見る向きも多い。ネット上にアップされた一般読者の書評でも、本書を評して「浅い」とか「軽い」「気晴らしに読むなら」など、低い評価も目立つ。しかしその一方で圧倒的多数の「面白かった」「是非、続編を望む」などの強い指示がある。私は深く味わい深い文芸作品こそ素晴らしいとする考えに全く異論はない。しかし一方で軽いエンターテイメント作品が価値がないかといえば、けっしてそんなことはないと思っている。読者を物語り世界に引き込み、没頭させ、それこそハラハラ、ドキドキ、ワクワクさせることは小説のいちばん大切な要素だと考えるからだ。少なくとも私が本好きになったのは、若い時にそのような小説に出会ったからだ。幸運であったといわねばならない。そのようなきっかけを作ってくれる作品をたくさん出版なさっている「メディアワークス文庫」はエライ! と思う。私はアスキー・メディアワークス角川グループパブリッシングを重要なミッションを遂行する企業として尊敬する。そのミッションとは読者をして「電撃文庫」の娯楽路線から一般文芸に導く、それも娯楽的要素を遺しつつライトノベルを卒業せしめるという戦略的なものだ。「メディアワークス文庫」のキャッチコピーは、「ずっと面白い小説を読み続けたい大人たちへ――」だ。私は、ずっと面白い小説を読み続けたい。老人になっても、ずっと……


(装画について)
カバーのイラストは越島はぐ氏によるらしい。なかなか素晴らしい装画だ。篠川栞子店長が魅力的に描かれている。ただし、越島氏が本書をきちんと読まれた上でイラストにされたかどうかは疑問だ。描かれた女性は魅力的で巨乳ではあるが眼鏡をかけていないのである。ちょっと残念、かな?