佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

ペンギン★ハイウェイ

お姉さんはスマートなイルカみたいである。体操をしてぴょんぴょんとはねるたびに、おっぱいがゆれている。お姉さんのおっぱいを見ているうちに、イルカはほ乳類だからおっぱいがあるのだとぼくは気づいた。けれどもイルカのおっぱいはどこにあるのだろうか。イルカの赤ちゃんはどうやっておっぱいを吸うのだろう。海水もいっしょに口に入ってきて、塩からくならないのだろうか。さらにぼくは考えた。イルカにおっぱいがあるならば、シロナガスクジラにもおっぱいがあるのだ。シロナガスクジラの赤ちゃんは生まれたときからぼくらより大きいのだから、おっぱいはおっぱいと思えないほど大きいだろう。

「少年!」とお姉さんが大きな声で言った。「何を見ている」

「考えごとをしていました」

「ウソをつけ」

「本当です」

「おっぱいばかり見ていてはいかんぞ」

「見てはいません。おっぱいについては考えていましたが、お姉さんのおっぱいのことではありません」

 お姉さんはため息をついた。「スズキ君が君をきらいになる理由がわかるよ」

                    (本書P248-P249より)

 

  

『ペンギン★ハイウェイ』(森見登美彦・著/角川文庫)を読みました。昨年11月下旬に文庫が発刊されたのです。待ちに待っていました。すぐに買って、いつ読もうかと楽しみにしていた本です。なにせ、久しぶりのモリミーですからね。テンションあがります。しかも、この少年(アオヤマ君)は一年ちょっと前に読んだ『郵便少年』の主人公なのです。みどころのある少年です。一年経った今、少年がどれくらい成長したのかそれを読みたく思いました。なにせこの少年は「他人に負けるのは恥ずかしいことではないが、昨日の自分に負けるのは恥ずかしいことだ」などと宣う、まことに見上げた少年なのですから。

 

http://hyocom.jp/blog/blog.php?key=181294

 

まずは出版社の紹介文を引きましょう。


ぼくはまだ小学校の四年生だが、もう大人に負けないほどいろいろなことを知っている。毎日きちんとノートを取るし、たくさん本を読むからだ。ある日、ぼくが住む郊外の街に、突然ペンギンたちが現れた。このおかしな事件に歯科医院のお姉さんの不思議な力が関わっていることを知ったぼくは、その謎を研究することにした―。少年が目にする世界は、毎日無限に広がっていく。第31回日本SF大賞受賞作。


 

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)

 

 

 

 

 よもやこの少年の名は守田・おっぱいに目のない男・一郎君ではあるまいな?、と思ってしまうほど「おっぱい」という言葉が小説中に登場する。しかし少年の名はアオヤマ君、『恋文の技術』の主人公・守田一郎とは明らかに別人だ。どうでもいいことだが、『恋文の技術』には「おっぱい」という言葉が187回出てくる。『ペンギン★ハイウェイ』にはいったい何回でてくるのか、暇な人はぜひ数えて私に連絡して欲しい。

 さて、主人公の少年は自立心と向上心と克己心に溢れている。少年は世界の果てやら相対性理論やら生命の起源やらについて考えるのに忙しい。少年は怒らない。怒りそうになるとおっぱいのことを考えるのだ。おっぱいケーキを食べるのも有効な手段のひとつだ。心を平和に保つ術を心得ている。

 また、少年は毎日ノートをたくさん書く。おそらく日本で一番ノートを書く小学四年生である。少年はその習慣ゆえずんずんえらくなって頭角を現しつつある。少年はいつかえらくなりすぎて、たくさんの女の人から結婚してほしいといわれるかもしれない。でもそれにこたえるわけにはいかない。もう相手を決めてしまっているからだ。

 私はこの少年は一八歳になれは京都大学に合格しそうな気がしている。そして、腐れ大学生として、一見無意味な研究に没頭するのだ。しかし、今日の自分は必ず昨日の自分よりえらくなるという心がけゆえにずんずん頭角を現すだろう。そしていつかペンギン・ハイウェイを辿って世界の果てに行き着くことができるだろう。それはお姉さんにつながる道だ。たから泣くな少年。ぐんない。

 

(追記)

森見氏の小説にはいつも示唆に富んだ言葉がでてくる。小説を読みながら書き留めた言葉を、下に記し、記憶しておくこととする。

 


実物を見るのは大切なことだ。百聞は一見にしかずである。(P5)

 


他人に負けるのは恥ずかしいことではないが、昨日の自分に負けるのは恥ずかしいことだ。(P5~P6)

 


ぼくは毎日ノートを書く。みんながびっくりするほど書く。おそらく日本で一番ノートを書く小学四年生である。(P8)

 


ぼくはどうしてもしゃべりすぎる。えらい人というのは、もう少し寡黙であるべきだとぼくは考えるものだ。(P15)

 


自分の満足のためにほかの人にがまんしてもらうには、それなりの理由と手続きが必要だ・・・・(P16)

 


「ぼくは少しおとなげないことをしたかもしれません」
「いや、君、オトナじゃないだろ」(P19)

 


おっぱいというものは謎だと、ぼくはこのごろ、しきりに思うのである。ぼくがしばしば考えてしまうのはお姉さんのおっぱいだが、なぜ彼女のおっぱいは母のおっぱいとはちがうのだろうか。

 


「怒りそうになったら、おっぱいのことを考えるといいよ。そうすると心がたいへん平和になるんだ」(P51)

 


「あと三千八百八十一日たてば、ぼくも大人になる予定です」(P68)

 


小学校二年生の頃まで、「=」(イコール)は「答えは?」という意味だと思っていた。(P73)

 


「仲良くしなくてもいいよ。だれとでも仲良くなるなんて、不可能だもん」(P117)

 


「・・・・・・いやだけれどもがまんしなくてはいけないことがあるね、人生には」(P122)

 


「おっぱいが好きであることはそんなにへんなことだろうか?」(P123)

 


[大人の女性は、大人の男性をカンタンに部屋に入れたりはしないそうである。その男性の前で眠ってしまったりもしない。そういうことは恋人同士になってからするのだ。(P145)

 


「たしかに、おまえは多忙だ。しかし、多忙で歯をみがかない人間と、多忙でも歯をみがく人間がいたら、どちらがスマートかね?」(P163)

 


ぼくは水の中で息をとめていなくてはならないことを、たいへんきゅうくつに思った。生命は海で生まれたはずなのに水の中で息ができないのはおかしいと思っていた。(P165)

 


シロナガスクジラの赤ちゃんはものすごいウンチをする。(P176)

 


ぼくはノートの方眼を利用して、きれいな時間割を書くことができる。大きな計画を小さな計画に分ける。大きな時間割を小さな時間割に分ける。そうすると時間はレゴブロックみたいである。すべてがきれいに組み合わさると、ぼくが立派な大人になるための計画になる。(P187)

 


「ぼくはおどるとロボットみたいになる。きっと理論的に考えすぎるんだと思います」(P194)

 


イルカにおっぱいがあるならば、シロナガスクジラにもおっぱいがあるのだ。シロナガスクジラの赤ちゃんは生まれたときからぼくらより大きいのだから、おっぱいはおっぱいと思えないほど大きいだろう。(P248-P249)

 


「本当の本当に遠くまでいくと、もといた場所に帰るものなのよ」(P335)

 


「神様も失敗することがありましょう」(P335)

 


仮説を立てるということは、信じるということとはちがう。(P355)