佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

四畳半王国見聞録

「街路樹の葉から落ちた一滴の水にも全宇宙が含まれている」というお話であった。

 下鴨神社の東、築年数も定かではない骨董的アパート「下鴨幽水荘」の二階である。四畳半に車座になった四人が、宇宙的規模の議論をしながら晩夏の夕べを過ごしている。

 議論の発端は阿呆神であった。

 阿呆神とは、京都にて無益な日々の営みに血道を上げる学生たちが奉じる神のことである。そのいかにも御利益の薄そうな神は何処におわすかという話題がドングリのように転がって、宇宙創成の理論と華厳宗の教えがメビウスの帯のようにからまったところにシュレディンガーの猫が一枚噛むといった、落としどころの見えない議論になっていた。徹底して議論する風を装いながら、結論を出す気はさらさらないのだから呆れたものだ。

                 (本書「蝸牛の角」の書き出しより抜粋)

 

 

 

『四畳半王国見聞録』(森見登美彦・著/新潮文庫)を読みました。

 

まずは出版社の紹介文を引きましょう。


 

「ついに証明した!俺にはやはり恋人がいた!」。二年間の悪戦苦闘の末、数学氏はそう叫んだ。果たして、運命の女性の実在を数式で導き出せるのか(「大日本凡人會」)。水玉ブリーフの男、モザイク先輩、凹氏、マンドリン辻説法、見渡すかぎり阿呆ばっかり。そして、クリスマスイブ、鴨川で奇跡が起きる―。森見登美彦の真骨頂、京都を舞台に描く、笑いと妄想の連作短編集。


 

 

 

四畳半王国見聞録 (新潮文庫)

四畳半王国見聞録 (新潮文庫)

 

 

「英雄は英雄を知る」と云えり。転じて「阿呆は阿呆を知る」。

「知者は惑わず勇者は懼れず」と云えり。転じて「知者は惑わず阿呆は廃れず」。

「踊る阿呆に見る阿呆」と云えり。転じて「書く阿呆に読む阿呆」。

読む阿呆とは私のことである。同じ阿呆なら書く阿呆になりたい。しかし天は私に才を与え給わず、神はサイコロを振り給わず。シュレディンガーの猫の運命は箱を開けてみなけりゃわからない。何を書いているのかわからない。やはり私は阿呆です。阿呆嵩じて崇高となると云えり。ならば私はそれを矜持としよう。なんのこっちゃ。