佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

赤ヘル1975

「まあええ、旅のモンじゃったら、今日のところはこらえちゃるわい」

 青光りはイバって言った。「ほいでも、気ぃつけや、広島の街を巨人の帽子かぶって歩くいうんは、クソを垂れ垂れ、チンポを振り回して歩くんと同じことなんで。ぶちくそ恥ずかしかろう? ほんまなんど、気ぃつけんと、大恥かいてしもうてからじゃ遅いんじゃけえ」

                                     (本書P51より)

 

赤ヘル1975』(重松清・著/講談社)を読みました。

 

 

まずは講談社の紹介文を引きます。


悲しみが、苦しみが、怒りが、祈りが、そして希望が――
この年、真っ赤な奇跡へとつながった。

原爆が投下され、街が燃え尽きてから30年。弱小球団・広島東洋カープができてから26年。カープの帽子が濃紺から赤に変わり「赤ヘル軍団」となった頃、一人の転校生が広島にやってきた。

1975年、広島カープ初優勝の年。三年連続最下位だったカープは、開幕十試合を終えて四勝六敗。まだ誰も奇跡のはじまりに気づいていない頃、やんちゃな野球少年のヤスと新聞記者志望のユキオは、東京から引っ越してきた“転校のベテラン”マナブと出会った。マナブは周囲となじもうとするが、広島は、これまでのどの街とも違っていた――。


 1975年。私が高校に入学した年。サイゴンが陥落しベトナム戦争終結した年。イルカの「なごり雪」、キャンディーズの「年下の男の子」、バンバンの「『いちご白書』をもう一度」がヒットし、港のヨーコはハマからヨコスカに流れ、たいやきくんは喧嘩して海に逃げ込んだ年だ。貴ノ花が二回も優勝した年でもある。この年の赤といえば、日本赤軍がクアラルンプールでアメリカ大使館を占拠したテロ事件。これはボケタレだ。アッパレだったのは赤ヘル軍団・広島カープの球団創設以来のセ・リーグ初優勝だった。

 あの時代の記憶がよみがえって懐かしく温かい気持ちになった。市井の人が悲しみや怒りを胸に秘めながらも、周りの人、仲間を大切にして生きている姿に感動。正月から良い本を読みました。重松さんに感謝。