佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

風の果て

『風の果て(上・下)』(藤沢周平・著/文春文庫)を読みました。

 

まずは出版社の紹介文を引きます。


(上巻) 首席家老・桑山又左衛門の許に、ある日果たし状が届く。恥を知る気持ちが残っているなら、決闘に応じよ、と。相手は野瀬市之丞。同門・片貝道場の友であり、未だ娶らず禄を食まず、厄介叔父とよばれる五十男である。「ばかものが」戸惑いつつも、又左衛門は過去を振り返っていく―。運命の非情な饗宴を描く、武家小説の傑作。


(下巻) 同時期に道場に入門した五人の仲間は各々の道を歩み、時代は移ろう。逼迫した財政を救うため、藩の長年の悲願だった太蔵が原開墾に向け、邁進する又左衛門。だが策謀と裏切りを経て手にした権力の座は、孤独であった―。人生の晩年期に誰もが胸に抱くであろう郷愁と悔恨を、あますところなく描いた傑作長篇。 


 

 

 百田尚樹氏の『影法師』の連想で読むことにした。

 上士と下士の間の厳しい身分制度、部屋住みの身の悲哀、婿養子に入ることでどうにか一人前として扱われ、己の才覚を発揮する場も与えられる。生きて行くにも恋愛をするにも壁だらけの中で、なんとかその壁を突き破ろうとする者、壁に阻まれたままの境遇の中で自分の生に意味を見いだそうとする者、様々な生き方と運命のいたずらが錯綜するなかで、若き頃、同じ道場に通った仲間がそれぞれの人生行路が決まってゆく。未来がたっぷりある若いうちは、それぞれが人生どうなるか判らないという不確実性がある分、希望もある。しかし、四〇才、五〇才と歳を数えるとそうはいかない。ある程度、成功した者とそうでなかった者がはっきりする。久しぶりに会う友と「おい。おれ、おまえで話そう」と断らねばならないことが全てを現している。ほろ苦いことだが、生きて、歳を重ねるとはつまりそういうことだ。