佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

甘露梅

「筆さん、わっちがあの人に悋気して弁天屋で騒ぎを起こしたと思いなんすか」

 浮舟はきゅっと眉を上げ、真顔で筆吉を見た。

「物分かりがいいと思っていんしたが存外に察しの悪い。あの人が海老屋に揚がりなんすなら文句はありいせん。わっちがあの人と大門の外に逃げようとしたのは、もとより覚悟の上のこと。それが首尾よく行かずに見つかり、ぶたれ、蹴られ、挙句の果てに河岸に落とされようと、わっちが身の詰まり。あの人だとて筆さんや他の若い者にさんざん小突かれて半殺しの目に遭ったのは覚えがありんしょう。わっちは、あの人の才を信じておりいした。今をときめく山中案山子は、わっちのかつての間夫。誇りに思いこそすれ悋気の種にはなりいせん」

 浮舟は滔々と語った。山中案山子は戯作者の表徳(雅号)であるのだろう。

「それじゃ、花魁はあの戯作者が海老屋に揚がるのなら文句はなかったとおっしゃるんですか」

 おとせは驚いて訊いた。

「あい。海老屋に迷惑を掛けたと少しでも思いなんすなら、海老屋に揚がって銭を遣うのが筋だと、わっちは思いんす。弁天屋では恩返しになりいせん。どうでも海老屋には顔向けできぬというなら、いっそ吉原で遊ぶのはやめて、日本橋でも深川でも行ったらいいざます。弁天星で大きな顔をする了簡が気に入らぬ。わっちとの不始末は、吉原で知らぬ者はいない。口を拭って何事もなかった顔で客面していんすから、わっちは肝が焼けてわめいてやったざます」

                                     (本書P123~P124より抜粋)

 

『甘露梅』(宇江佐真理・著/光文社文庫)を読みました。

まずは出版社の紹介文を引きます。


岡っ引きの夫に先立たれた町家の女房、おとせ。時を同じくして息子が嫁を迎えたため、自分は手狭な家を出ることに。吉原で住み込みのお針子となったおとせの前には、遊女たちの痛切な生の営みがあった。さまざまな恋模様、その矜持と悲哀。そして自身にもほのかな思いが兆しはじめ…。今宵ひと夜の夢をのせて、吉原の四季はめぐる。哀切の傑作時代小説。


 

 

 

苦界に身を置く者は仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌の八徳を失った者として亡八と呼ばれる。苦界に身を沈めてなお人は夢や希望を持つことがある。そのようなものを持つことが許されないことと知りつつ、それを止めることが出来ない哀しさ。そうすることがかえって自分を苦しめることになると知りながら。失った徳の中に「情」は無い。自由をほとんど奪われてはいても、わずかに「情」に人間らしさを残そうとする女の胸にあるのは「矜持」、いや、人として認められない身の上にあって、それは「意地」と言い換えたほうががよいのかもしれない。