佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

100万回生きたねこ

 『100万回生きたねこ』(佐野洋子・作・絵/講談社の創作絵本)を読みました。

  

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

 

 

 これだけ有名で広く読まれている本をこれまで読んでいませんでした。これといった理由はないのですが、おそらくこの本が絵本だからです。私は本を沢山読みます。しかし絵本は数えるほどしか読んだことがありません。そして私は心のどこかで絵本を軽んじていました。しかし、私は今、絵本に対するその態度を悔いています。心から悔いています。なぜ若い頃にこの本を読まなかったのかと。いや、子供の頃に読んでおくべきであった。というのも、この本は読む世代によって感じ方が違うはずだから。おそらくこの本の本当の良さは子供には判らない。この本が「大人ための絵本」といわれる所以であろう。

 ここで著者・佐野洋子さんを最後に担当された編集者・山田智幸野さんが以前、あるインタビューに応えて語っていらっしゃるあらすじを引きます。 

100万回生まれ変わっては、さまざまな飼い主のもとで死んでゆく、とらねこの話です。とらねこは、飼い主のことなんか大きらい。あるときは、一国の王のねこ。あるときは、船乗りのねこ。サーカスの手品つかいのねこ、どろぼうのねこ、ひとりぼっちのおばあさんのねこ、小さな女の子のねこ・・・。ねこが死ぬと、みんなは泣きます。でもねこは泣きません。死ぬのなんかへいき。好きなのは、自分だけでした。

あるとき、ねこは、はじめて、のらねこになります。

のらねこが「おれは100万回もしんだんだぜ」と自慢すると、いろんなねこがよってくる。モテモテです(笑)。でも、自分に関心を示さなかった1匹の白いねこがいた。興味をなんとか引こうとするうちに、いつのまにかとらねこは白いねこと一緒にいたいと思うようになります。

やがて子ねこが生まれ、愛し愛されて穏やかな時間が流れる・・・。でも、そのときも終わりがきます。 白いねこはいつか動かなくなり、とらねこははじめて泣きます。朝も夜も、泣きつづけて、そして白いねこのとなりで、しずかに動かなくなるのです。


 

 

 もしも私がこの本を一〇代、二〇代、三〇代、四〇代と繰り返し読んできたとしたら、その都度、感じ方や解釈が違っていただろうという気がしている。しかし、私は今、既に五四歳であり、この年齢にして初読である。そしてあとは六〇代、七〇代、八〇代と命があれば再読してみるしかないのだ。残念だが人生は繰り返せない。物語に登場するねこは100万回死んで100万回生きた。しかし私は一度しか生きられない。

 さて、感想です。

 このねこは100万回死んで100万回生きた。つまり死ねなかったということですね。どうして死ねないのか? 本当に自分が愛するものを見つけるため? 判らない。そしてねこは一度も泣いたことがない。泣けないのです。何度でもやり直せる人生(いや猫生というべきか)。取り返しがつかないことなんてない。何度でもやり直せるから、ほんとうに大切なもの(無くして困るもの)なんておそらく何もなかったのでしょう。

 そして、100万回生きたねこはのらねこになって初めて自分のことが好きになった。それまではずっと誰かのものだった。誰かのものだったうちは、自分のことを好きになることもなかった。のらねこになってはじめて、ねこは自分のねこになったのです。

 自分が自分になってはじめてねこは恋をする。これまで自分以外を愛することができなかったねこが初めて他のねこを愛するようになる。しかし白いねこは誰もと同じようにいつかは死ぬ定め。愛する白いねこが死んで初めてねこは泣く。いつまでも泣き続け、やがて静かに死んでいく。そして100万回生きたねこは、もう決して生き返らなかった。

 100万回生きたねこは何故泣いたのか? かけがえのない愛する者が死んでしまったから? もちろんそうでしょう。でも私はその涙は、これまで100万回も死んできたときに、飼い主が泣いたことの意味がはじめて判ったからではないかとも思うのです。さらに100万回死んで100万回生き返ったねこはなぜ決して生き返らなかったのか? 本当に愛する者に巡り会えたからか。そうかもしれない。私が考える理由はこうです。白いねこと寄り添って暮らした人生(いや猫生というべきか、ええいややこしい)は100万回生きたねこにとって最高のものだった。その最高のものを作者・佐野洋子さんがそのままにしておいてやりたかったのではないかと思うのです。それでこそ100万回生きたねこに救いがあると思うのです。私は最後の一文「ねこは もう、 けっして 生きかえりませんでした」を読んだとき、なぜかかわいそうとは思いませんでした。むしろほっとしました。よかったとさえ思いました。ねこが死んでしまったにもかかわらずです。おそらくそれは100万回も死んで100万回も生きるという死ねないねこに、白いねことの思い出とともに終止符を打ってあげた作者のやさしさに触れたからだと思います。

 すこし泣いてしまいました。