佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

家出のすすめ

『家出のすすめ』(寺山修司・著/角川文庫クラシックス)を読みました。

 

まずは出版社の紹介文を引きます。


書を捨て、街に出よう--若者の未来の自由は、親を切り捨て、古い家族関係を崩すことから始まる。「家出のすすめ」「悪徳のすすめ」「反俗のすすめ」「自立のすすめ】と、現代の矛盾を鋭く告発!


 

 

 

 

文庫初版は1972年。「家出」が「抑圧からの解放」あるいは「不合理を我慢しない」ということの象徴だとすれば、当時の寺山氏の気分はよくわかる。私はそのころ地方農村に住む少年であったのだから。しかしもし寺山氏が今の時代(2014年)を生きていたとしたら「家出」を勧めただろうか。本書で寺山氏は「日本人のなかにはながいあいだ、忍耐の美徳……という不衛生な道徳的習慣がありました」という。しかし少なくとも私は「今」において、忍耐を不衛生な習慣とは言いたくはないのだ。それにつけても寺山氏の文章は示唆に富む。結びの言葉「自由というのは、もはや、不自由の反対語ではないのです」だけでも寺山氏の慧眼ぶりは疑いようがない。
 
(気になったフレーズ・メモ)
「一盗二婢三妾四妻」「一人息子と母親の関係においては、まったく母は子を食べようとするでしょう」「じぶんが夫に性的満足を与えていないくせに、サザエさんはなぜ嫉妬深いのか」「『家』の外にどれだけ多くのものを『持つ』ことができるかによってその人の詩人としての天性がきまる」「何も目標も計画もさだまっていないからこそ、家出という行動を媒介として、目標をさだめ、計画を組み立てなければならないのであり、幸福な家庭であるからこそ、それを超克しなければならないのです」「思想とは本来、無署名のものであることを知っておきさえすれば、理想主義者トルストイが夫婦喧嘩のすえ、汽車に轢かれて死んだ…などということはいっこうに騒ぐに足らぬことだ」「一つのことを信ずることが、他を裏切ることだろうということを知らずに、誰が悪について語ることができるものか」「現代にあって、人に悪口をいわれぬような人とは、おそらく無能な人であろう、というのが私の推理であります」「本当はあらゆることに『責任を感じている』人は、何一つとして責任を負わないことになってしまうのではないだろうか」「愚連隊は、なぜ『隊』であるのか。やくざは一人単位では成り立たないのだろうか、ということが問題であります」「美というものは、本来、何かを欠いたものです。完全な合理主義からは、美はおろかドラマも生まれてはきません」「家畜が食えるなら、親だって食えるのだ!」「日本人のなかにはながいあいだ、忍耐の美徳……という不衛生な道徳的習慣がありました。人びとはさまざまな不合理さをがまんし、そのがまんのなかに『無常感』といったムードを構成して生きながらえてきました」「いったい、言葉がなくて思想が成立し得るものか……」「何の不満もない生活に不満だからです」「地方農村の家族制度の犠牲者が家出するのは、大義名分があります。これはいわば正当防衛のようなもので、ごく当然のことなのです。しかし、幸福な家庭から家出するのには名分がない。勇気がいります」「『科学的根拠のないことがらを信ずること』が、もし迷信だとしたら、一切の宗教は迷信だということになり、詩の世界や多くの哲学は『迷信』だということになります」「白人は、ニグロはすでに性的優越性をたのしんでいると感じているので、その上さらに学校の教室で平等になられてはたまらないと思っている」「『自由』がつねに主体的に生きることを意味するのならば、人間は多かれ少なかれ、自分の存在が歴史の中で客観的な存在であるということを認めないわけにはいかないでしょう」「大人とこどもの間の『自由』争奪の戦いばかりではありません。地上は限りない戦いのために見えない血であふれています」「自由というのは、もはや、不自由の反対語ではないのです」