佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

世界史の極意

 
『世界史の極意』(佐藤優:著/NHK出版新書)を読了。
 
 
 現代は未だ「帝国主義」の時代である。植民地を求めないのは単に植民地の維持コストが高まったからに過ぎない。外部からの搾取によって生き残りを図るという行動様式に変化はない。(新・帝国主義)そして新・帝国主義は資本主義、ナショナリズム、宗教の三つの掛け算で動いている。その実相をアナロジカルに把握することではじめて戦争を回避できる。と、まあ、こういうことかな?
 さらに佐藤氏は「日本が目指すべきは『品格ある帝国主義』である」と説く。この『品格ある帝国主義』なるものが具体的に定義されていないので、いったいどういった状態を指すのかが明らかではないが、おそらく「日本が外部に与える傷みを出来るだけ小さく目立たぬよう抑えて賢く搾取せよ」と理解していいのだろうと私なりに勝手に解釈する。
 本書には他にもハッとさせられたり、なるほどと唸らせる記述が多い。そのいくつかを記し、記憶に残しておきたいと思う。
 
  • ウクライナ危機であれ、スコツトランド独立問題であれ、「民族」という要素に着目してこそ、その本質を理解することができます。またこの章では、高等学校の世界史では脇に追いやられがちだった中東欧史を中心に扱います。その理由は、民族の原形モデルは、イギリスやフランスといった西欧ではなく、中東欧で生まれたものだからです。極論すれば、中東欧史を押さえないと、民族やナショナリズムの問題を理解することはできません。

  • マルクスは資本主義社会の本質は何であると考えたのか。答えは「労働力の商品化」です。

  • 労働力の価値である賃金はどう決まるのでしょうか。それには三つの要素があります。たとえば一か月の賃金だったら、一つは、労働者が次の一か月働けるだけの体力を維持するに足るお金でなければならない。食料費や住居費、被服費、それにちょっとしたレジャー代などが相当します。ニつ目は、労働者階級を再生産するお金です。つまり家族を持ち、子どもを育てて労働者として働けるようにするためのお金が賃金には入っていないといけません。三つ目は、資本主義社会の科学技術はどんどん進歩していきますから、それにあわせて自分を教育していかなければいけない。そのためのお金が必要になります。

  • それに対して、一九ニ〇年代にイタリアのムッソリーニが展開したファシズムは、共産主義革命を否定すると同時に、主義的資本主義がもたらした失業、貧困、格差などの社会問題を、国家が社会に介入することによつて解決することを提唱しました。国家が積極的に雇用を確保し、所得の再分配をする。ムッソリーニが「イタリアのために頑張る者がイタリア人」と言ったように、ファシズムは、人々を動員することで、みんなで分けるパイを増やしていく運動なのです。
    これら(帝国主義共産主義ファシズム)三つの処方箋のうち、共産主義革命には現実性がありませんから、日本の選択は帝国主義ファシズムを織り交ぜて、アイロニカルに述べるならば、「品格ある帝国主義」を志向しなければならないということになるでしょう。

  • そして、日本もまた帝国主義国です。なぜなら、一九世紀の終わりまで、独立した政治体制を持つていた琉球王国沖縄県として編入した歴史を持つからです。歴史的に、本土と沖縄は天皇信仰を共有していません。沖繩のメディアと本土のメディアの報道内容もまったく異なります。多くの日本人はこの違いに鈍感なため、沖純も本土の延長上に考え、均質な日本人の一部だと考えてしまう。つまり、宗主国としての自覚をまつたく欠いているのです。

  • 資本主義が発達して、グローバル化が進んだ末に、帝国主義の時代が訪れることは前章で説明しました。同時に、帝国主義の時代には、国内で大きな格差が生まれ、多くの人びとの精神が空洞化します。この空洞を埋め合わせる最強の思想がナショナリズムなのです。新・帝国主義が進行する現在、ナショナリズムが再び息を吹き返しています。合理性だけでは割り切れないナショナリズムは、近現代人の宗教と言うことができるでしょう。

  • ソ連社会主義の崩壊後、資本主義国がカネに対する統制を失いつつあることを挙げましょう。社会主義という目に見える脅威が存在したときは、資本主義国は自国での革命を阻止するため、富裕層に集中する富を累進課税法人税で吸い上げ、中下層に再分配していました。しかし、共産主義国が崩壊し再分配の必要がなくなった。その結果、富が上位の何パーセントかに集中する著しい格差が資本主義国を覆っています。