佐々陽太朗の日記

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『寒山拾得』(森鴎外 1916年 「新潮文庫・日本文学100年の名作・第一巻 1914-1923 夢見る部屋」より)

新潮文庫・日本文学100年の名作・第一巻で『寒山拾得』(森鴎外 1916年)を読みました。

 

 

よくわかりません。3回読み直しました。情けないことにやはりよくわかりません。”寒山拾得”の読み方(かんざん じっとく)すら知らなかったのですから、おのれの不甲斐なさに身が縮む思いです。ちなみに”寒山拾得”とはブリタニカ国際大百科事典によると

 中国,唐の伝説上の2人の詩僧。天台山国清寺の豊干禅師の弟子。拾得は豊干に拾い養われたので拾得と称した。寒山は国清寺近くの寒山の洞窟に住み,そのため寒山と称したといい,樺皮を冠とし大きな木靴をはき,国清寺に往還して拾得と交わり,彼が食事係であったので残飯をもらい受けていた。

 とあります。

私はこの小説を理解するために「松岡正剛の千夜千冊 1557夜」を参考にし、寒山拾得”についてはある程度の知識を得ました。

1557夜『寒山拾得』久須本文雄|松岡正剛の千夜千冊

 しかし鴎外はこの小説で何を謂わんとしたのか。

私におぼろげながらわかるのは次のようなことです。

鴎外は道に対する人の態度を三つのパターンで認識している。

  1. 自分の職業に気をとられて、ただ営々役々と日々を送るのみで道というものに無頓着な人
  2. 決心して深く道を求め、日々のつとめがすなわち道になっている人
  3. 道に無頓着な人と道を求める人との中間にいる人

この中間の人は、道はあると思い、道を究める人を尊敬するものの、自分を道に疎遠な者とあきらめている人。こういう人は自ら道を求めていないものだから、自分のわからぬものを尊敬することになる。自分のわからぬものとはつまり他人から聞いた評判やブランドであろう。鴎外はそこに「盲目の尊敬」が生ずると言っている。

この小説の主人公の閭(りょ)はこの中間の人である。自分の頭痛を呪いで忽ちのうちに治してしまった豊干という僧から「拾得は普賢」で「寒山は文殊」と聞かされた閭はその言葉を鵜呑みにしてしまった。閭は豊干のことを偉い僧と信じて疑わないからである。実際に国清寺を訪れ寒山と拾得に会ったときも、自分なりに寒山、拾得という人物を見定めることなく、ご大層な挨拶をした閭の愚行を揶揄した小説なのだろうということである。ほんとうに鴎外の意図がそこにあったかどうか、些か自信がありませんが、私の推論は以上です。それにしてもよくわからない奇妙な小説です。