『毎月新聞』(佐藤雅彦・著/中公文庫)を読みました。
まずは出版社の紹介文を引きます。
毎日新聞夕刊紙上で、月に一回掲載された日本一小さな新聞、その名も「毎月新聞」。その月々に感じたことを独自のまなざしと分析で記した、佐藤雅彦的世の中考察。人気の3コマまんが「ケロパキ」に加え、文庫オリジナルの書き下ろしも収録。
まいりました。ブックカバーにもなっている創刊準備号『じゃないですか禁止令』を読んだ瞬間にそう思いました。この鋭い洞察力、この方の頭の良さは別格だ。それが第一印象です。
まず『じゃないですか禁止令』について書いてみます。
佐藤氏がはじめて「~じゃないですか」を体験したのは次のようないきさつです。
ある日、佐藤氏は会社にアルバイトに来ていた女学生から次のように言われる。
「これ余っていたらもらっていいですか。ほら、私たち学生って、こういうレアものに弱いじゃないですか」
これを聞いた佐藤氏はその言葉に含まれるいろんな意味に憤るのだ。
まず欲しいなら欲しいと言えばいいのに、個人としての欲望を学生一般のことに置き換えてずうずうしさをごまかしている点。
つぎに「~じゃないですか」という問いかけが、知っていて当然というニュアンスを秘めており、既成事実化をはかっている点。
最後にこのずるい言い回しがきわめて便利で(ということは強い感染力を持ち)、様々な場面で使われるであろうこと。
実際に佐藤氏はその後、しょっちゅうその言い回しに触れることになり気分を害すのである。
「こういう仕事って、手間がかかるじゃないですか」→なぜ自分は面倒臭いといえないのか。
「こういう案は上に通すのが難しいじゃないですか」→なぜ自分は上に通す自信がないといえないのか。
私もこういう言い回しにはなんとなく落ち着かなさを感じていたものだ。しかし、その気分が何故わきあがるのか、その本質にまで思い至っていなかったのである。それを佐藤氏は瞬時に看破し「ずるい」と言ってしまう。このように普段われわれが何となくモヤッとした感じで「変だ」と思っているが、なぜモヤッとした気分を持つのかが判然としないこと、そのことについてあまり深く考えることもなく流してしまっていること、そうした事柄を佐藤氏は深ーい考察と鋭い洞察力で我々に対しまことに理路整然とクリアにその本質を説明してしまうのだ。まさに「あるある!」である。
「あるある!」といえば第9号『おじゃんにできない』について書いておかねばなるまい。
これは出かけるとき、靴を履き終わった後で忘れ物に気がついたときどうするかという問題である。靴を脱いで家に上がればよいのだが、それがなかなか「おじゃんにできない」という話。どうするか。
A 玄関先にある古新聞を2~3部とり、広げて目指す先まで敷きつめる。
B 両膝をついてつま先を浮かしハイハイする。
C 片方だけ靴を脱ぎけんけんする。
D 靴のままスリッパをつっかけて行く。
E 靴のまま接地面を少なくして上がる。(足首を両側に開き靴の外側のエッジで歩く)
F 古新聞を2枚広げて両手に一枚ずつ持ち松の廊下の「殿中でござる」方式でずるずる進む。
私の場合、BあるいはFかな。
そのほか第30号『つめこみ教育に僕も一票』、第40号『オレンジの皮』に特に共感した。