佐々陽太朗の日記

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『利休の茶杓 ― とびきり屋見立て帖』(山本兼一・著/文春文庫)

 『利休の茶杓 ― とびきり屋見立て帖』(山本兼一・著/文春文庫)を読みました。とびきり屋見立て帖・シリーズ第四弾となります。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

 新撰組憂国の志士が闊歩する幕末の京都。若夫婦の真之介とゆずは、その地で道具屋「とびきり屋」を営んでいる。ある日真之介は道具の競り市で「茶杓箪笥」を買って店に持ち帰った。「茶杓箪笥」はその名のとおり茶杓を収める箱で、仕切りに一つずつ茶杓が収められていたが、一つだけ中が空いているものがあった。そこにあるべき茶杓をめぐり、新撰組芹沢鴨茶の湯家元の若宗匠、もとの「茶杓箪笥」の持ち主、そしてゆずの間で騒動が持ち上がる。 そこにあるべき茶杓はあの利休居士のものというが、真相は? 物を見立てる不思議と喜びを描く「とびきり屋見立て帖」、惜しくも急逝した著者が遺したシリーズ第四弾。表題作を含めた傑作連作短篇6本を収録。

 

 

利休の茶杓 とびきり屋見立て帖 (文春文庫)
 

 

 山本兼一氏が亡くなられたのは2014年2月13日の事。著者逝去によって図らずもシリーズ最終巻となってしまった本作。「利休の茶杓」がオール讀物に掲載されたのは2013年12月号のことだから、山本氏は癌と闘いながらこのシリーズを書き続けていらっしゃったことになる。この話を読んで判ることは山本氏の意向として「利休の茶杓」が本シリーズの締めくくりではなかったであろうこと。山本氏はこのあと不穏な政情に揺れる幕末の京都と、そこで道具屋を営む若夫婦の姿をどのように描こうと構想していらっしゃったのか。激動の世にあってもおそらくこの夫婦は幸せに暮らし、商売も繁盛したに違いないのだが、山本氏はそれをどこまで書こうとなさったのか。明治維新までであったのではないかという気がするが、ひょっとして大正の時代、二人ともに白髪が生えて天寿を全うするまで書こうと思っていらっしゃったかもしれないではないか。もしも、山本氏がお元気で生きていらっしゃれば、我々はまだまだ長く本シリーズを、そして微笑ましい夫婦の姿を楽しめたに違いないのだ。誠に残念なことです。

 本作の巻末に山本兼一氏夫人・山本英子氏(ペンネーム・つくもようこ)の追悼エッセイが掲載されている。ご夫婦が本作の主人公夫婦、真之介とゆずのようであったかどうかはさておき、お二人がお互いを慈しみ思いやるあらまほしきご夫婦であったことが窺える。

 英子夫人のエッセイの中に兼一氏が『利休にたずねよ』の最終章を書くにあたり、利休の妻宗恩が緑釉の香合をどうするかを考えているとき、「あなたが宗恩ならどうする?」と訊ねられたことが書いてある。あの結末には「私なら違う結末にしたのに」という読者も多いはず。宗恩が緑釉の香合をどうしたかで、あの作品の印象が全く違うからである。利休と宗恩の夫婦としてのありようがそこで決定されてしまうのです。それほど決定的な場面を英子夫人は自分ならどうすると答えたのか。山本兼一ファンなら是非とも読んでおきたいエピソードである。

 余談であるが『利休にたずねよ』にせよ本シリーズ『とびきり屋見立て帖』にせよ、史実と違うところは数々あろう。現に『利休にたずねよ』については、直木賞受賞作であることでもあり間違っているという指摘が多くなされているようだ。そうした指摘の多くには根拠があり正しいのでしょう。しかしそれがどうしたというのか。小説は、たとえ歴史上実在した人物を登場させていたとしても、あくまでフィクションである。作者も読者もそれをわきまえて想像の世界に遊ぶのだ。小説にはそれができる。だから私は小説が好きなのだ。

 

 

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