佐々陽太朗の日記

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『等伯』(安部龍太郎・著/文春文庫)

等伯』(安部龍太郎・著/文春文庫)上下巻を読みました。

まずは出版社の紹介文を引きます。

 直木賞受賞作、待望の文庫化!

天下一の絵師をめざして京に上り、戦国の世でたび重なる悲劇に見舞われながらも、己の道を信じた長谷川等伯の一代記を描く傑作長編。

敵対していた信長が没して不安から解放された等伯だが、その後も永徳を頭とする狩野派との対立、心の師・千利休の自刃、息子の死など、たび重なる悲劇に見舞われる。窮地に立たされながら、それでも己の道を信じた彼が、最後にたどりついた境地とは―。直木賞受賞、長谷川等伯の生涯を骨太に描いた傑作長編。

 

 

等伯 上 (文春文庫)

等伯 上 (文春文庫)

 
等伯 下 (文春文庫)

等伯 下 (文春文庫)

 

 

 幾重もの苦難は絵師として類い稀な才能に恵まれた等伯故のものか。それほどの高みを望まなければ、あるいは平穏な幸せを手にすることもあったろうに。しかし、真に美しいもの知り、それを表現できる才能に恵まれた等伯であれば、大切なものを抛ってでも到達したいところがある。その因業はあえて一身に引き受けるしかないのだ。天才とはそういうものなのだろう。
 下巻では等伯が真の美を探し求める姿勢、美を至上のものとする姿勢を、利休が秀吉から死を賜ったエピソードも交えて描かれた。等伯が最終的に至った境地、もしそれが利休と同じく秀吉に対して生死を賭して訴えたものだったとすれば、その答たる「松林図」は象徴的だ。積年の想いと修練の積み重ねが「楓図」であったとすれば、「松林図」はそれらを削ぎ落とし、名利から解き放たれた己の姿なのではないか。それは等伯が大いなる悲しみの人生を歩んだ末に、他を”恕する”境地に至ったことの表れではないだろうか。
 それにしても、私が等伯の「松林図屏風」を観たのはいつのことであったのだろう。国立京都博物館に行ったことはあるが、東京博物館には行っていない。しかし確かにこの絵をどこかで観て感銘を受けたのだ。いつのことであったのか、何処でのことだったのかは思い出せなくとも、この画を一目見たときの印象は鮮明に覚えている。私はその時、画の中の松林に漂う空気を吸った気がしたのだ。
 最後に等伯に対し近衛前久が語りかけた言葉を引いておきたい。本書を読み解く上でのキーワードであろうし、他に影響力を持つ者の生き方として示唆に富んだ言葉だと思う。
「ええか信春(等伯)、俺ら政(まつりごと)にたずさわる者(もん)は、信念のために嘘をつく。時には人をだまし、陥れ、裏切ることもある。だが、それでええと思とるわけやない。そやさかい常しえの真・善・美を乞い求め、心の底から打ち震わしてくれるのを待っとんのや。絵師は求道者や。この世の名利に目がくらんだらあかん」
 等伯が最終的に美とともにあったとき、己の因業で義父母を死なせることになった悲しみ、最愛の妻・静子の命を縮めてしまった罪、権力をもって等伯が世に出ることを阻もうとした狩野派に対する恨み、親交のあった利休に死を命じた秀吉に対する怒り、最愛の子を裏狩野の陰謀で失った悲憤、全てを包み込んで恕することができたのだと思いたい。