『土曜の夜と日曜の朝』(アラン・シリトー:著/新潮文庫)を読みました。
まずは出版社の紹介文を引きます。
「人生はきびしい、へこたれるもんか」―自転車工場の若い工員アーサーは、父親から上司、政治家に至るまで権力と名が付くものが大嫌い。浴びるように酒を飲み、人妻を誘惑し、気に入らないヤツに喧嘩を売る日々を送っている。〝悪漢物語〟の形式を借りて労働者の青春を生き生きと描き、第二次大戦後のイギリス文学界にショックを与えたシリトーのデビュー作。
- 作者: アラン・シリトー,Alan Sillitoe,永川玲二
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1979/12
- メディア: 文庫
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先週『長距離走者の孤独』を読み、今週は本書。大昔に読んだ本でどちらもページが黄ばんでいる。この流れを作ったのは『ねぇ、委員長』(市川拓司・著/幻冬舎文庫)を読んでのことだ。これに収められた同名の短編にアラン・シリトーの小説が出てくる。繭子というクラスで委員長をしている女の子と周りから問題児と目されている鹿山という男の子の物語だ。図書委員をしている繭子が鹿山に読むように薦めるのだが、最初に薦めたのがシリトーの『長距離走者の孤独』、2番目に薦めたのが『土曜の夜と日曜の朝』だったのだ。ちなみに『土曜の夜と日曜の朝』を読んでの鹿山の感想は「おしなべて男どもは馬鹿さ。加減を知らない」というのと「誠意のない人間は尊敬されない。そうなったら終わりだよ」というものであった。実は私はちょっと違う感想を持つが、正鵠を射てはいる。
『長距離走者の孤独』もそうであったが、本書『土曜の夜と日曜の朝』も権力や体制、規則、秩序に対する反抗が底流にある。特に公序良俗といった目には見えないが確かに在る抑圧からのエスケープや破壊衝動はどの国の若者にも共通する意識だろう。しかし、本書で主人公アーサーが持つ気分は階級社会のイギリスならではのものがある気がする。イギリスにおいては階級によって言葉のアクセントが違い、服装も読む新聞も違うという。とすれば階級は決して貧富の差による格差ではなく、言ってみればその人の流儀であって、虐げられているという被害者的なものではないといえる。であるから主人公アーサーの反発も体制を破壊しようとする行動にまで結びつかず、「紳士的な行動などクソ食らえ」程度のささやかな反抗だ。誠意あるふるまいがどのようなものかを判りながらあえて褒められたものではないふるまいをするのだ。「人から尊敬されようなんて思ってないぜ」と斜に構える程度のもので、どうしようもない怒りに突き動かされるわけでも、体制に敗れて虚脱するわけでもない。事実、この物語はなんだかんだあっても結局は気立ての良いかわいい娘との結婚が結末になっている。まあ、そのあたりがこの物語の味わいなのだろうな。
この物語を読んで、なんとなく若い頃の気分を思い出した気がした。そしてこの曲が聴きたくなった。
物語の前半「土曜の夜」のイメージで・・・
アーサーは同僚の奥さん(ブレンダ)と不倫してて月光仮面が来なくなりましたとさ。
いい事ばかりは ありゃしない きのうは白バイにつかまった ♪
月光仮面が来ないのと あの娘が電話かけてきた ♪
金が欲しくて働いて 眠るだけ ♪
ついでに後半「日曜の朝」のイメージはこれかな。いや、ちょっと違うか・・・