佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『蜜蜂と遠雷』(恩田陸・著/幻冬舎)

ユウジ・フォン=ホフマンの推薦状

皆さんに、カザマ・ジンをお贈りする。
文字通り、彼は「ギフト」である。
恐らくは、天から我々への。
だが勘違いしてはいけない。
試されているのは彼ではなく、私であり、皆さんなのだ。
彼を『体験』すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵なのではない。
彼は劇薬なのだ。
中には彼を嫌悪し、憎悪し、拒絶する者もいるだろう。
しかし、それもまた彼の真実であり、彼を『体験』する者の中にある真実なのだ。
彼を本物の『ギフト』とするか、それとも『災厄』にしてしまうのかは、皆さん、いや、我々にかかっている。
(ユウジ・フォン=ホフマン)

『蜜蜂と遠雷』(恩田陸・著/幻冬舎)を読みました。

 これは私にとって『ギフト』であり恩寵でもありました。ただし、その恩寵はインフルエンザがもたらしたものではありましたけれど。というのも私はこの本を昨年末に友人Iさんからいただいたのです。すぐにも読みたかったのですが、ハードカバーで500ページあまりの分厚さです。おいそれと持ち歩けるものでもなく、ある程度まとまった時間家にいることが出来るときでないと読めるものではありません。ところが今週17日夜にインフルエンザを発症(その時点ではただの風邪だと思っていましたが、19日の朝、医者でインフルエンザと診断された)し、人に拡散してはならぬと自宅に缶詰状態になったのです。20日には熱も下がって起きて本を読むことが出来るまで恢復しましたので、図らずも読書に没頭できる環境が整ってしまったのです。折しも本書が直木賞を受賞したとのニュースも耳にしました。(私にこの本をプレゼントしてくれたIさんは、なんと本書の直木賞受賞を予測していたのです。スゴイ!) これぞインフルエンザの恩寵。何事にもプラスの側面はあるものです。いいことばかりはありゃしないが、世の中捨てたものでもないのです。

 出版社の紹介文を引きます。

私はまだ、神に愛されているだろうか?

ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、そして音楽を描き切った青春群像小説。

著者渾身、文句なしの最高傑作!

3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。「ここを制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」ジンクスがあり近年、覇者である新たな才能の出現は音楽界の事件となっていた。養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵15歳。かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳。音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンでコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳。完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳。彼ら以外にも数多の天才たちが繰り広げる競争という名の自らとの闘い。第1次から3次予選そして本選を勝ち抜き優勝するのは誰なのか?

 

蜜蜂と遠雷 (幻冬舎単行本)

蜜蜂と遠雷 (幻冬舎単行本)

 

 

 恩田氏は本書で次のことを描いた。音楽の神様から愛されることの僥倖、そしてそれとは裏腹の災厄。感性と感性がふれ合い、ぶつかり合い、融合することで到達する高揚感。それとは逆に、もし高みを知らなければ感じようもなかった羨望と嫉妬。それらを見事に描ききったと思えます。

 また、演奏を評価する描写の巧みさ、豊かな語彙に舌を巻くことしきり。例えば二次予選のジェニファー・チャンの演奏を表現した部分など、読者はたる私は実際にその演奏を聴いたわけではないのにあぁそういう感じよく分かるとストンと腑に落ちたのであった。

カデンツァ」の部分について亜夜とマサルのやりとりが興味深かった。つまり、多くの、というよりほぼ全員のコンテスタントが「即興」であるはずのカデンツァを事前に譜面に落とし徹底的に練習して本番に臨む。もちろんコンクールである以上、事前の準備は当然のこと。しかしひとつのパターンを選び、それを最上のものとして演奏することの危うさがそこにある。それは音楽の幅を狭めてしまう行為であり、臨場で生演奏を聴くことの醍醐味を否定しかねない行為ではなかろうか。亜夜は事前にいくつか考えてはいるけれど、どれにするか決めかねている。ひょっとして本番の状況次第では事前に考えたもの以外のそれこそ即興の演奏するかもしれないと考えている。これは音楽の神様から祝福された天才にしか許されない行為であろう。しかし、天才であることとコンクールで優勝することは別である。そもそも音楽は優劣を競うものではないはず。その前提を知りながらコンクールを行うということ自体が根源的に矛盾をはらんでいるのだ。その時の状況と演者の気持ちがある旋律を弾いてくれといっていると感じ、それをそのまま音として表現したとして、それがコンクールで評価されるかどうか。それは分からない。いやむしろ評価されない可能性が高いだろう。なにしろコンクールにおいて「規格外の才能」は弾かれるものなのだから。そうしたことを踏まえて最終ページに掲出された審査結果順位を見ると感慨深いものがある。

 恩田さんが描きたかったのは音楽の神様に愛された規格外の天才だけではないだろう。むしろそうした天才たちよりも「自分に音楽の才能が本当にあるのかどうかと悩み、日々長時間の練習をして、それでもミスするかうまく弾けるかと胃の痛い思いをして眠れぬ夜を過ごし、おのれの平凡さに打ちのめされながらも音楽から離れることができない無数の音楽家の卵たち」を描きたかったに違いない。世界がとてつもなく美しいものに満ちていると感じ、自然の中に満ち満ちている音楽をはっきりと聴き取ってしまった瞬間に恋に落ちてしまった音楽家の卵たちのことを。

 良い小説を読ませていただきました。素晴らしい時間でした。本書の直木賞受賞に全く異存ありません。Iさんに心から感謝します。

 

 余談ですが、私はIさんに倣って小説中に出て来た課題曲をYouTubeで聴きながら本書を読んでみました。その結果、クラシックを聴きながら本を読むのは何とも云えず心地よいものだということを発見しました。もうひとつ思いがけない発見がありました。それはラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の美しい旋律がエリック・カルメンのヒット曲”All by Myself” に使われていると云うこと。この発見はちょっと嬉しかった。

 


Eric Carmen - All By MySelf (HQ)

 

 余談をもう一つ。この本の装丁がお気に入りです。

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誰の手になるものかが気になって、本のページを捲ったが何処にも書いていない? 見落としてはいないと思うのですけれど・・・
ネット検索して知ったのは次の情報

装画:杉山巧
ブックデザイン:鈴木成一デザイン室

素晴らしい!