佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『モナ・リザの背中』(吉田篤弘・著/中公文庫)

モナ・リザの背中』(吉田篤弘・著/中公文庫)を読みました。

まずは出版社の紹介文を引きます。

 ある日、美術館に出かけた曇天先生。ダ・ヴィンチの『受胎告知』の前に立つや画面右隅の暗がりへ引き込まれ、以来、絵の中に入り込んで冒険を繰り返す。絵の奥では「見えなかった背中」も「曖昧だった背景」も明らかに…。はたしてこれは夢か現か。文庫あとがきとして著者の“打ち明け話”付き!

 

モナ・リザの背中 (中公文庫)

モナ・リザの背中 (中公文庫)

 

 

 久々の吉田篤弘氏である。『つむじ風食堂の夜』、『それからはスープのことばかり考えて暮らした』に続いて三冊目。吉田氏の独特の世界が好きです。ただ、独特の世界と云ってもこれまで読んだつむじ風食堂の夜』、『それからはスープのことばかり考えて暮らした』とこの『モナ・リザの背中』とはいささかその趣を異にしている。まずは題名。ことのほか題名にこだわりを持っていると思われる吉田氏の小説として『つむじ風食堂の夜』、『それからはスープのことばかり考えて暮らした』は、その題名からして「日常」に対するこだわりとある種の温かさ、心地よさのようなものを求め、吉田氏なりの世界を表現した小説であろう。誤解を怖れずに云えば、それは吉田氏がオシャレで心地よいと感じる日常生活のスタイルを、(現実にはそのような心地よい世界はないものだから)ファンタジーとして描いたのだと思える。翻ってこの『モナ・リザの背中』については、吉田氏がまもなく五十路を迎えようとする年齢に至って、自身の作品世界をオシャレだ、カッコイイなどと評する周りの目から解き放たれて、そんなものはどうでもいい、自分は自分なりに自分の好きなように生きていくのだと宣言しているように思える。それは吉田氏の正直な「こだわり」であり、同時に「ちゃらんぽらん」でもあるのだろう。その意味で物語の主人公・曇天先生は五十路を生きる吉田篤弘氏本人に他ならない。

 書き出しから3頁まで読んだ時点で私はこの小説を気に入っていた。「ゆで卵」をあくまで「うで卵」と呼ぶこだわり。助手を務める「イノウエ君」を「アノウエ君」と呼ぶ諧謔精神。ニヤニヤしながら読み始めた。壮年期の終盤を迎え、老年にさしかかろうとする男の持つある種の「アク」と「毒」がとてもチャーミングではないか。このテイストはまるで落語だ。このなんとも魅力的な書き出しの一部を引いて記憶しておきたい。

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 ある日、ふと気付くと、私はそんな鳥肌が立つ男になっていた。

 朝は6時半に目覚め、寝床の中で猫の如き伸びをする。体の軋む音が聞こえて少しく頭へ血がのぼり、それで次第に意識が明確になってくれば、寝床より這い出して寝巻のまま台所にて湯なんぞを沸かす。

 そこで一日の最初の鳥肌が立つ。

 じゃぶらじゃぶらとヤカンに水を入れてガス台の上へ載せ、ガス台の栓をひねれば当然のように火がついて炎が立ち上がる。微量なるガスのにおいと炎の鮮やかさに脳も刺激され、嗚呼、こうして今日という一日が始まるのだなと思えば、それでまた鳥肌が立つ。ついでに、自分という者がこの世に生を受けて、実に五十年もの歳月が流れてしまった事実に、なおふたたび鳥肌が立つ。

 私は冷蔵庫の扉をあけて新鮮な卵を取り出し、いっとう小さな柄付き鍋で、うで卵をつくらんとする。うで卵については、このあいだアノウエ君と議論したばかりである。アノウエ君が言うには、

「先生、それはうで卵ではなく、ゆで卵というのではないですか」

 この「先生」というのはいやしくも私を指し、私は週の半分ばかりは大学へ出向いて三十人あまりの学生を相手に芸術を論じている。アノウエ君はこの大学において私の助手を務め、正式にはイノウエ君なのであるが、いやしくも先生と呼ばれるところの私は「イよりアの方がよろしかろう」と一方的に決めてしまったのである。

「いいかね、アノウエ君。昔はイの字がイロハのイであって、何ごともそこから始まっていたものだ。しかし不思議なもので、いつからかアの字が文字列の始まりとなり、それだけでもずいぶんと世界は違って見えよう」

 それでイノウエ君はアノウエ君になった。同様にゆで卵もうで卵となった。これらはすべて私の一存であって法則はない。人間、五十にもなったら、あとはこちらの一存で参りたい。眠たければ眠るし、笑いたければ大いに笑う。他人の理屈なんぞにはいっさい耳を貸さない。知らないねぇ、知りませんなぁ、と、ひたすら知らぬ存ぜぬで通す。大抵のことはそれでもどうにかなる。面倒なことは放っておけばよい。

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  まことに愉快ではないか。けだし名文。